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2005年12月真冬のロンドン滞在記 店主:東 賢太郎(57歳)
その2

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<ロンドンの交通機関>

いつものバイク旅行と違って、足とバスと地下鉄とタクシーを効率良く利用しなければならない。ロンドンの地下鉄は1863年に始まった。日本はまだ明治維新前だ。線路とホームは狭い円形のゴムホースのような狭いトンネルで「チェーブ: Tube 」と愛称がついている。市内には12路線、287の駅があり、どこへ行くにも早くて便利だ。自動販売機で始めて切符を買う私が手間取っていると、後ろのおばちゃんが「どこへ行くの?そこなら2ポンドよ、ほらここに入れてこのボタンを押して」親切なのか、急いでいていらついたのか分からないが、自分のコインを入れて私に切符を買って押し付けた。あっけに取られている内に彼女は自分の切符も買って改札を抜けていった。ホームで又顔を合わせたので「さっきのお金返します」と2ポンドを差し出した。地下鉄に並んで座りながら2駅話をした。友達と待ち合わせてミュージカルを見るそうだ。「ジャズのライブを聞きたいならソーホーにあるロニー・スコッツが有名よ。でもロンドンにきたらミュージカルね」とかん高い声が社内に響いた。確かにロンドンにはたくさんのシアターが目に着く。



どこでも毎日ミュージカルやオペラを公演している。私は後日2つのミュージカルを見た。40 £ (¥ 8000 )と高いお金を払ったが、疲れていたのと、英語の台詞が十分理解できなかったので、2つとも途中退場してしまった。毎日朝9時頃から寒い街を歩き回り疲れていたのだ。



<叉も大きなトラブル>

シアターを出たところで看板を見入っている日本女性に「英語の台詞が難しくて疲れちゃった」と声をかけたら韓国人だった。韓国のソウル大学(インターネット・インフォメーションと云う学科があるらしい)の女子学生とのことで、「じゃあパブで一杯やりましょう」と誘った。パブはイギリス全土で約6万軒あると云い、ロンドンを歩くとどの通りにも沢山あった。ビールは地酒のように沢山の種類があるらしいが、エールビールが一番ポピュラーだ。それも軽い方からペール、ブラウン、ダーク、ボーダーと4種類ある。酒も料理も注文の度にお金を払うキャッシュ&デリバリーが一般的だ。最近日本で大ブレイクしている「立ち飲み酒場」の見本のようで、料理も多く、おしゃべりが弾む正にパブリック空間だ。



彼女はその深夜の飛行機でチェコへ飛び、そこから、オーストリア、イタリア、フランス、スペインを回り、2月上旬にソウルへ帰ると云う。私は彼女が飛行機に乗る迄の時間潰しの相手となった。私は海外でよく韓国人とおしゃべりをする。お互い東洋人同士で接し易いからだろう。会話は英語になった。「11月にソウルに行ったよ。そして日本でね韓国映画“私の頭の中の消しゴム”とかウォンビンの“マイブラザー“も良かったよ」と話すと「ウオンビン大好き」と日本語が返った。

彼女はロンドンにいる友達の韓国女性をそのパブに呼んだ。しばらく3人で話をしていた時、彼女が異様な声を発した。足下に置いた小さめのスーツケースがなくなっていたのだ。私はすぐに表に飛び出し、付近を30分近く走り回り、それを持ち歩く人間がいないか捜しまわった。よくあることだが、金目のものを抜いてゴミ箱に捨てられていることも多い。大きなゴミ箱を幾つか覗いたがない。代わりに小さな布のバックが捨てられていた。

パブに戻ると、彼女は呆然とした顔で、どうしたらよいか途方にくれていた。約10万円の現金と衣服、そしてお土産やデジカメの充電器などが入っていると云う。私が探しに出ている間、彼女達はパブの防犯カメラの映像をチェックさせてもらっていた。後ろの客が持ち去るのが写っていたが、暗いパブで特定できる画像ではなかった。私は責任を感じて手持ちのポンド約5万円相当を差し出したが強く辞退された。私も何度か経験したことで、まだお金だけならまだいいが、さんざん撮影したデジカメを持ち去られた経験もあり、しばらくショックは残った。ロンドンは植民地時代からのつながりでアフリカ、インドからの移民者や、アラブ、アジアからの出稼ぎの人々も多く、社会的な差別もあり、その生活は楽ではない。最近のフランスの暴動もそれらの不満のうっ積が発端だ。ロンドンに限らず海外旅行では一瞬の油断も許されない。
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