化粧品店はっぴーとーく樹音: トップへ

2005年12月真冬のロンドン滞在記 店主:東 賢太郎(57歳)
その3

<・BACK NEXT・>

<ロンドンおのぼり観光>

ホテルの朝食はまだ真っ暗な朝7:30から。一般のコンチネンタルスタイルと違って、結構メニューの多いバイキングスタイルで、美味しくて量も確保できた。



せっかくだからひと通りの名所見物をするために、近くのベーカーストリートから2階建て観光バス(市内を自由に乗り降りできるタイプ)に乗り周遊した。市内はすでに海外からの観光客も多く、ウエストミンスター寺院やロンドン塔には行列ができていた。並ぶことの嫌いな私はそれを避け、大英博物館へ入った。大英帝国(グレートブリテン)は地球全土に植民地を持ち「我が帝国に陽の沈む時なし」と偉大な存在を誇った時期がある。その建物の外観や、近年完成した内側のグレートコートのスケールに圧倒させられた。中では旧石器時代や古代エジプトの石像やミイラに始まり、世界中の膨大な遺産の数々を見る事ができた。入場無料、撮影OK。ガイドのイヤホーンも寄付金程度で驚いた。観光客が集まるトラファルガー広場に隣接するナショナルギャラリーも同じシステムだった。作品数もニューヨークのメトロポリタンや近代美術館に匹敵する約2万点が展示され、イタリア・ルネッサンスやオランダ、フランドルの名画の他、後期印象派の作品も充実していた。美術の知識や興味の薄い私もこのギャラリーでは数々の歴史的絵画をゆっくり見て歩いた。



<せつない出会い>

外へでるともう真っ暗で、広場の噴水やクリスマスツリーの周りには人が集まっていた。付近の写真を撮っていると30代の日本人男性が話しかけて来た。「旅行はいつまでですか?もしよかったら案内させてくれませんか?面白いところも知ってますし」何だこの人、と思いながら話を聞くと、日本料理屋の仕事で半年前に来たが、今はやめて失業中だと云う。「4月までは帰れない事情があるので、友達に世話になりながら何とかガイドや手伝いで食ってます」と話した。ガイドは不要だが、近くのパブに入って一時間、私の知りたい情報をこまごまと教わった。食事をおごり10 £ ( 2000 円)渡した。別れ際に「悪いことはしないで下さいね」と云うと、「日本には子供もいますから」と私をせつなくさせる返事が返った。私は冬のロンドンにはもう来たくないと思った。



<ジャズのライブハウス>

 そこからロンドンの中心ピカデリーサーカスまでは歩いて数分だ。昼間と違い夜の交叉点はニューヨークのマジソンスクエアガーデンを思わせる巨大なネオンサインが凄かった。

地下鉄で知り合ったおばさんに教えられたジャズのライブハウス「ロニー・スコッツ」を探した。英国の ポリスマンは皆親切で、途中迄一緒に歩いて案内してくれた。歌舞伎町を思わせるソーホー地区はパブやクラブやちょっと怪しそうな店も軒を列ね、人力車も沢山走っていた。夜7:30老舗の「ロニー・スコッツ」に着き中に入ると大柄の黒人が「まだだ、外に並びな。予約者は右、無しはスタンドルームになるから左」と追い出された。ニューヨークの 「ソーホー」も有名だが、この呼び名は大昔この地域は農地で、狩の時お互いに呼び掛ける言葉だったそうだ。 1666年にロンドン大火災の後、このソーホー地区は新しい住宅地となり、政治家や聖職者や貴族達の高級住宅地になった。時代と供に職人の多い街に変わり、そしてだんだん荒れた街に変わっていった。そして1950年代イギリスにジャズが広がったころから今のような遊興の街に変わった。

り口で30分程待たされている時に、50代くらいの英国紳士が私に声を掛けた。「今中に入った彼が今日のメインアーチストだよ。彼はすばらしいよ」「エッあの人が?そうですか」その男はピエロのような赤い縦縞のスーツに派手なポケットチーフをたらし、杖を付ながら数段の階段をやっとのことで登って行った。もう80代位のでっぷりした爺さんだった。英国紳士は「中でおごるから一緒に聴こう」と私の顔を覗き込んだ。いやな予感がした。いやそれを確信できた。


<・BACK NEXT・>


Copyright 2005 JUNET INC. All Rights Reserved.