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2005年12月真冬のロンドン滞在記 店主:東 賢太郎(57歳)
その4

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<英国紳士の誘惑>
ジャズハウス「ロニー・スコッツ」はオーナーであったテナーサックス奏者の名前だ。本人は既に故人となったが、創業30年のロンドンで一番の人気ハウスらしい。入り口で声をかけてきた、口ひげをはやし学者風の彼は既に赤い顔をして少し酒臭かった。英国人にしては訛りのある聞き取りにくい発音で、さっき店に入ったメインアーチストの話を続けた。
「さっきの彼はね、GEORGE MELLYと云って リバプール生まれでもう80才のはずだよ。自伝も書いていてジャズ歌手としてもう伝説的存在なんだ。おしゃべりもうまいし・・・」、私の語学力には限界があり、あとはフムフムと聞き流した。とにかく国民的アイドル?らしいことは分かった。
予約客が先に入ってから30分程、やっと中へ案内された。私達を含めて10人程の飛び込み客の席はなく隅のカウンターの止まり木だけだ。予約客はディナーの真っ最中で演奏までさらに30分待たされた。一緒に入ったこの英国紳士がビールやスコッチを私に進めながら話を続けた。「君のような日本の若者が大好きだ。」私の手を握った。おっと〜、やばいな;「何云ってんだ俺はあんたと同じくらいの歳だぜ」と云いたかった。日本人の私は外国では相当若く見えるらしい。今度はいろいろ質問責めだ。答える私の顔を見る目つきがまた少し怪しい。この人はゲイさん、だと直感した。私は学生の頃からよく海外をひとり旅してきた。どうも狙われやすい。“ お世話になった ”ことは一度もないが、お陰でその嗜好の人は第一印象ですぐ分かる。



< 80才のアイドルJAZZシンガー >
演奏が始まり、しばらくしてメインアーチストが登場した。さっき入り口ですれちがった背が低く、丸太のようにデップリしたおじいさんの登場だ。ピエロのようなアイボリーに太い縦縞のジャケットで、杖をつき、のそのそと中央の椅子にたどり着く迄の間、観客からヤンヤの喝采だった。「なるほどアイドルだ。うらやましいな、80才になっても現役でこんなに人気がある」。挨拶やジョークや咳きやマイクを持つ手が震える度にまた喝采だ。この人歌わなくても登場するだけでこんなに受ける。歌い出した。黒人のサッチモ(故ルイアームストロングのこと:トランペッター)の歌のようにしゃがれた爺さんの味のあるスウィングがたまらなく素敵だった。歌は時たま演奏に遅れがちだが、ノリは最高だ。

<六本木のバードランド>
私は昔、六本木交差点近くにある老舗のジャズライブハウス「バードランド」へよく行った。往年のピアニスト世良譲(故人)やクラリネットの北村英治等が毎日入れ代わり演奏していた。「いいなジャズは、年をとる程演奏にイカシタ遊びが多く出て聴かせてくれる」ジャズはインプロビゼーション(即興演奏)が柱で、テーマとなるその楽曲を、どう自分の感性とテクニックで、その場でアレンジし表現するかだ。六本木の彼等の年をはるかに上回る「GEORGE MELLY」の即興のスキャットも最高だ。
私がゴキゲンの風でいると、彼が又スコッチを私に持たせ「遠慮せず飲め」と云って私の肩に手を置いた。「俺を酔いつぶさせて手込めにするつもりかも。俺はあんたの思う程大人しい人間じゃないし、出方によっては蹴飛ばすぜ」と心でつぶやいた。「私の家は近くで、いろいろ見せたいものもあるよ」とも云った。「まいったな〜」とにかく私にはその嗜好が全くない。アイドル爺さんのいかしたパフォーマンスと歌を中程まで楽しんだ頃「ちょっとトイレに」と彼に告げて、私は店を出た。ソーホー界隈には冷たい小雨が振っていた。



< 小雨のソーホー界隈 >
夜11時を過ぎたソーホー界隈は遊び客がたくさん歩き、クラブ(銀座のクラブとは違う、音楽やダンスのパブリッククラブ)やパブから賑やかな音楽や声が聞こえていた。クラブもパブも数えきれない程ある。クラブを何軒か覗くと中はもう男も女もなくランチキ騒ぎで飲み、踊っていた。私の入り込む余地はない。少し歩くと2台の自転車力車が客待ち風で声をかけられた。おにいちゃんが「何処へ行くんだい。乗らないかい」、「いやゴメン、腹が減ってんだよ」、「だったら」と裏道通りのパブを教えた。狭くて暗い裏通りに入ると怪しい男達と怪しい店がいくつも目に入った。皆の視線が遠くからも私に注がれているのを感じた。まずいやめよう。後ろを振り返りながら走って退散した。危ないところへ一人で入ってみたくなる性分で、他の国で何度かつけられたり、追われたり、襲われた経験もあったからだ。



< トラディショナルなロンドンの街並み >
私は大通りをとぼとぼとピカデリーサーカス(一番賑わう交差点)に向かった。観光客も多く凄いにぎわいだった。既にデパートや専門店は締まり、私は赤いバス(ダブルデッカー)の2階席に座り市内の夜景を見て回った。どこを走ってもここはロンドンだと分かる程街の建物は一貫したトラデイショナルな特徴がある。日本では先日、表参道ヒルズがオープンして、街並みが変わった。歴史建造物を残し、新しい建築物に対する規制のあるイタリアやフランス等ヨーロッパ各地の街と違って、日本は全く自由にばらばらのコンセプトの建物ばかりだ。木造中心だった日本では、大震災や戦争等いろいろその理由はあるだろうがもう少し日本的コンセプトがあっていいのではと思う。

< タワーブリッジ >
翌日、歌にもある「ロンドンブリッジ」を歩いて渡った。テムズ川に架かる普通の橋だ。しかしそこから見た下流のタワーブリッジが築地にある勝どき橋のように左右に橋げたを持ち上げて大きな船を通す橋だ。側に行って見ると20階建てビル程の高さがある。1894年に完成したその橋の中を見学すると、巨大な蒸気エンジンと水圧ピストンが残りその仕掛けが見れた。日本の戦艦大和もそうだが、昔はとてつもないものをよく造ったものだ。今は電気モーターに変わり、週に2〜3回大きな船の為に開けるらしい。橋の上に展望通路があり市内が見渡せた。



< ストリートマーケットの日本女性 >
夕方からストリートマーケットを巡った。大きなノミの市的なもので、骨董品やアクセサリー等の多い「アップル・マーケット」や、古着やパンクロック嗜好の多い「カムデン・ロック・マーケット」だ。小さな店がワンサカ軒を列ねている。ほとんど値札がない。交渉次第で言い値の半値が目標。見て回るだけでも楽しく、知らない間にいろいろ買い込んでしまう。革製品の店で30代くらいの日本人女性が私の接客をした。ジャケットを買ったからか、近くのカフェでお茶に付き合ってくれた。語学勉強の為にロンドンに来て2年で、知人の韓国人のこの店で時たまバイトだそうだ。日本に御主人がいるが、来年帰ったら離婚の予定と話した。カフェの女性が彼女に声をかけた「さっき彼が来てたわよ」と云ったらしい。年下の彼が出来て今すごく幸せの風だった。「結婚するの?」と聞くと「無理、彼はまだ学生で、卒業したらドイツに戻るし、私は日本に帰るし」と明るく答えた。なる程、聞いてるこっちがため息だ。
この店でバイク用の革のレージングジャケットを買ったのだが、帰国後次女の相方(彼氏)に取られた。いかした中古ブーツは長女の相方に取られた。ヨーロッパ人は物を大切にする。したがって古着や骨董品も再使用されるからこんなマーケットが成り立つのだ。日本は余りに贅沢な消費国家であることを実感させられた。



<帰りの飛行機もVIP並み>
7日間、極寒のロンドンを散策して、57才の老体はやはり疲れた。帰国はパディントン駅からヒースローエキスプレス(汽車)で空港へ向かった。一車両に乗客は私を入れてたったの3人。わずか15分と早く快適な車内だった。帰りもBA07便はガラガラで、エコノミー4人分の席を使い足を伸ばして帰った。成田に着いたのは元旦の朝。年末旅行でチケット会社倒産不運が重なったので、今年は幸運な年になるだろうと思いながら家路についた。

しかし「悪い事は重なるもんだ」と云う言葉を忘れていた。1月末に、私のオフィスで仕事をしている長女が、旅行で早朝成田に向かったが、夜8時迄待たされ、雪の為に運休。彼女は帰りに滑って怪我。そして翌日当店は集団万引きで高額商品をゴッソリ盗まれていた。3階オフィスのパソコンとレザープリンターが突然故障。よくもこんなに、と笑ってしまう。オフィスに塩を盛ってからは、旅で使ったカードの支払いに驚いた以外は今のところ平穏な日々が続いている。

おわり



(後書き)私の旅について
私は毎年3回、長短の休みを取って国内や海外を「バイクで一人旅」します。ただしそれ以外は、土日もなく年中無休で、店の仕事、そして2年前から行っている別会社(インターネット関連)を3階のオフィスで毎日朝から晩まで働いています。
家内が店で、「奥さん可哀想ね、御主人は一人で旅行ばかりで」と何度かお客様に云われたそうだ(笑)。そこで「いえ私は、主人が時々いなくなってくれるほうがのんびりできていいんです」と答えているようです。このように毎月旅行記を掲載してるので、一年中と思う方もいらっしゃるようです。実際は一般の方より年間の休みは半分くらいなのに(笑)。そう云えば私も家内の休みの日のスケジュール内容に全く無頓着になってから何年もたっている。やばい、熟年離婚真近か(爆)!

今回も、つたない旅行記をお読みくださいまして、ありがとうございます。ご感想等ございましたら、ぜひお聞かせください!
メール:head@junet.co.jp

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