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2005年夏・九州一周バイク旅行(vol.1) 店主:東 賢太郎(57歳)
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◆52年前の汽車の旅

 今から52年前(昭和28年)の冬、当時4歳の私は 父と二人で東京から鹿児島に向かう汽車の車中にいた。 急行でも約25時間も要した汽車の旅は、蒸気機関車の 煙りと汽笛が今でも頭に甦るほど、記憶の底にある。 父は車窓に流れる町や村、田畑や山を指差しながら、 いろいろ話を聞かせた。私は窓にかじり付ながらいちい ち「うん、うん」と聞き入った。夜になると父の膝枕に 小さい身体を伸ばして熟睡した。
 その前の年、父は屋根にペンキを塗っていた時、足を 滑らし落ちて背骨を折った。一ヶ月の入院生活のあと、 一ヶ月の療養の目的で鹿児島の指宿温泉に向かっていた のだ。鹿児島は父と母の故郷であちらには親兄弟、そし て親類が沢山暮らしていた。

◆徳島へ向かうフェリーの船上で

 2005年夏、私は恒例のバイク一人旅に出た。行き 先は九州一周。往路はフェリーも使い、復路は全て走っ て帰る。終着地は御殿場にある父の墓だ。
 幼い頃から旅好きだった私は鹿児島へも一人で十数回 旅した。しかしバイクで行くのは初めてだった。
 夜7時、東京有明のフェリーターミナルを出航した船 は一路徳島へ向かった。今フェリーを利用する観光客は少なく、貨物トラックとコンテナの輸送がほとんどだ。 それに混じり8台のバイクが船倉の壁にロープでくくり つけられた。

 私のバイクはYAMAHAのオフロードバイクTTR 250ccレイド。ガソリンタンクの大きなバイクだ。
 これなら山や川でも走れる。16リッターで400km 走る。昨年はこれで北海道を一周した。渋滞も細い山道 も駐車にも困ることは少なく、旅は自由気ままに何の制 限も受けずに走れる。但し二輪車は常に転倒のリスクが る。速度を落とす山道なら速度も遅く、何度転んでも怪 我は大したことないが、高速道路での転倒は生命の危険 まである。しかしそのリスクを抱えてまでも旅したい楽 しさがバイクにはある。
 船上で、21才の小柄な女性ライダーと話をした。 彼女は「免許は二ヶ月前に取りました。7日間の予定で 広島までいきます」私は「よく来たね、エライぞ、でも 家族は心配しなかったかい?」聞けば父親は私より3歳 下の54歳だ。「母は反対でしたが父が行って来いって」 「そうか、そう言うお父さんの気持ち分かるよ。でも心 配してるはずだよ」「だと思います(笑)」私はもう一度 云った。
 「でもその前向きな行動力はエライぞ!」
 私は社長や総理大臣の肩書きを持っても偉い人とは思 わない。ベストを尽くす人を「偉い!」と讃える時の言 葉と思うからだ。初めてお使いが出来た幼い子供を、親 や近所の人が「えらいね!」と誉める時が一番適切な使 い方と思っている。

 徳島港でフェリーから降りた私は、後から降りてくる 彼女のバイクを待った。黒の皮パンツにライダースジャ ケットで完全武装だ。真夏のツーリングには少し暑いか もしれない。しかし事故の危険に対応する慎重な姿勢は 全く正しい。私は半袖のシャツにジーパンがいつものス タイル。こけたらもろに重大な怪我となる。彼女のバイ クはKAWASAKIのオンロードバイク250cc。 黒の新車だ。「カッコイ〜!立派なライダーだぜ!」 「ほんとですか、うれしい〜!」私はバイクだけでなく 彼女の気持ちをそう讃えたのだ。

◆四国巡礼の若い女性

 私は徳島港から20分程の鳴門市へ向かった。この春 その鳴門にある化粧品専門店のホームページ制作を受注 し制作したのだ。<http://hikariya.jp> そのアフター フォローもあった。私は2年前から化粧品店とは別にそ の専門会社も経営している。このお店はその売り上げと 技術の質で全国に知られた有名店だ。社長の経営姿勢は 「家族や従業員が働き易い環境を作り、皆を幸せにして あげることが私の仕事です。すると自然に売上げが上が るんですね」と云いつづけ、それを実証している。その 意味は同じ価値観の私はよく理解できる。
 このホームページ制作の為に、私は昨年の12月に 2日間取材の為に鳴門に滞在した。その時そのご店主に 案内されて立ち寄った四国霊場88カ所の巡礼の第一番 札所「霊山寺」で、東京の若い女性と出会った。40日 かかって全札所を巡り、その一番初めに参拝した寺へお 礼参りに来た時だった。「一人で四国全土を回ったとはす ごいね、君のような若い人はいなかったでしょう」する と薄手のジャンパーとジーンズの彼女は「そうですね、 それもこんな時期だし」 「何か特別な思いがあって回っ たの? 」私はいつもぶしつけだ。しかし遠回しより良い ことがある。少し間を置いた後彼女は笑顔で「今年2回 手首を切ったんです。でもダメで、少し旅にでようかと 思ってこの巡礼を始めたんです」
 私はその訳を聞くことはせず、ただ「すっきりした?」 と真顔で聞いた。「 回っている内に少しづつ気持ちが変 わるのが分かって、今日と、あの日ここからスタートす る時の思いは全く違いますね」と彼女は笑顔で答えた。 「そうか良かった。それはやった人でないと分からない ものだろうね」彼女の顔は確かに晴々として、私との会 話も楽しんでいたようだ。
 2001年の夏、私はスペインの巡礼の道「カミーノ ・ デ・サンチャゴ」をバイクで走った。それはキリスト 教の聖地を目指す道で、ヨーロッパ各地から毎年沢山の 信者が歩く。多分彼女にはそのような宗教的な目的はな かっただろう。しかし何かに心を開いて自分を見つめ直 したい気持ちがあったに違いない。
 「記念に写真を取ってやろうか」「アッうれしい、で も一緒に写って下さい」同行のご店主にシャッターを押 してもらった。メールアドレスを交換した。しかし向こ うからは来ず、私も遠慮して書かなかった。東京には又 現実が待っていたはずだ。今どうしているか、鳴門の町 にバイクを走らせながら考えた。

◆サプライズなプロポーズの言葉

 翌日、淡路島の知り合いの化粧品店を訪ねた。メール だけの知人で顔をみるのは初めてだった。まだ32歳の 彼に奥さんとのプロポーズの言葉を聞かせられ心が軽く なった。「 私があなたを一生幸せにしてあげるから結婚 しよう 」何とこれは彼女から彼への言葉だった。当時 アルビオンの美容部員で実家も化粧品店だった彼女は会 社をやめ、彼と二人で独立し化粧品店を出した。現在は その彼女の頑張りで店は繁盛し彼は幸せな毎日を送って いる。もちろん彼も店主として、りっぱな商売人として 業界紙にも登場する人となった。私も同じ商売人だ。 そして同じく働き者の家内のお陰でこのように長期で旅 にでられる幸せ者でいられる。

◆熊本の魅力的な美容部員さん

 その日の午後2時再びフェリーに乗り、北九州の門司 へ向かった。船上ではやはり旅人同士の会話がはずんだ。 早朝5時に入港。私はそのまま大分別府を経由し、阿蘇山よりもっと南に位置する高千穂渓谷に入った。そして そのまま九州を横断し、夕方6時に熊本市内に着いた。

 ホテルにバイクを置き街にでた。デパートの化粧品売 り場を巡るのも私の旅のスタイルだ。客のいない化粧品 メーカーのカウンターで話し掛ける。「僕も川崎で化粧品 屋をしてるんだけど、今何が売れてますか?」すると皆 ニコニコと対応してくれる。「ここでは今これがいいです ね」と。やはり同じ業界人同士と云う親近感があるのだ ろう。
 某外資系メーカーの口紅を触っていたら美容部員が声 を掛けてきた。「 どなたかにプレゼントですか。お幾つ ぐらいの方ですか?」一瞬「ウーン30才位かな」とつ い答えてしまった。彼女は親切に対応してくれただけで なく、その話し方や説明の仕種がとても魅力的で、こん な美容部員さんがいるのだ、と久々感動した。最後に 「ゴメン、実は僕も化粧品屋で、見学して回っていたん だよ。口紅はいらないけどヘアークリームを買わせても らうよ」すると「そうだったんですか、お店はどちらで すか?」と聞く笑顔とさりげなさが又素敵に感じ良く、 こんな人が我が店にいてくれたらいいな、と思った。
 しばらく話をした後、「もし上京して仕事がしたくなっ たら、僕の店が歓迎するよ」と誘った。実は当店は今年 の3月末に20年勤めた優秀なスタッフが結婚退社して 人を探しているのは事実だった。
 名刺を渡した後、「仕事の後もし時間があったらお茶 でも飲まないですか 」と誘った。彼女はしばらく考え てから「一時間位ならいいですよ」と笑顔が返った。
 近くのカフェで、話したことは私の旅の話しばかりだっ た。福岡の実家に住む彼女の弟さんもバイクで良く遊び に来るそうだ。余り旅行もしない彼女にとって、そんな 旅の話しは新鮮で楽しんでくれたようだ。2時間位話し た帰り際に彼女が「最近彼と別れて、ちょっと落ち込ん でいたんです。でもお陰で元気が出ました」とはにかみ ながら話した。突然云われたその言葉に私は「そうか、 君もバイクの免許でも取りな」そんなつまらんことを云 うのがやっとだった。こんな娘がまだいるんだ。私は早 朝から一日走り続けた疲れがどっとでて、真直ぐホテル へ戻り、着替えもせずベットに倒れこんだ。

◆父と母の故郷鹿児島

 翌朝熊本城だけ見学し、九州自動車道を南下した。い よいよ鹿児島へ入る。錦江湾に近ずくと前方に勇壮な桜 島が表れた。 「よし桜島の裏側から入って一周してフェ リーで鹿児島市内に入ろう 」そう思い海岸線を左回りで 走ると急に強い雨が降り出した。頭の上は晴れているが 所々厚く黒い雲が移動していた。私はガソリンスタンド に駆け込み雨宿りをさせてもらった。他のお客が二人い てスタンドの人と盛んにおしゃべりをしている。それは もろに鹿児島弁で、鹿児島に入ったことを実感した。

 もともと鹿児島生まれの私は、話すことは出来ないが 理解ができる。「 故郷の訛り懐かし停車場の、人込みの 中にそを聞きに行く」石川啄木の詩を思い出した。正に その心境だ。
 雨が上がり、走り出すと又雨だ。今度は近くの道の駅 へ逃げ込んだ。自転車で日本一周をしている若者二人と 出会った。沖縄を走しり、今日船でもどったという。

 これから2ヶ月かけて北海道の宗谷岬を目指すと云う。 昔私が自転車旅行したように彼等も地ベタに座り、固形燃料でスープを作りラーメンを食べていた。そんな彼等 とお互いの旅の話を始めると一時間はあっと云う間だ。
 真っ黒に日焼けした顔の彼等に「途中喧嘩なんかしな かった?」と聞くと、二人は顔を見合わせて大きな声で笑った。いつも一人旅の私は一瞬うらやましさを感じた。
 櫻島に入ってからもそんな仲間達に沢山会った。一人 で自転車日本一周中の21才の男の子もいた。全てテントで寝泊まりし、4ヶ月間の予定と云う。皆スケールが でかい。若い内だからできることだ。

 俺も君位の時同じことしたんだよ、と話すと「今何の 仕事してるんですか?旅の経験は後で為になりましたか」 と聞きたがった。帰ってからの将来も少し気にかかるの だろう。彼の今の旅も決して楽しいことばかりじゃない ことを私は知っている。一旦仕事を捨てて旅に出ている 彼等は「この旅の先に何があるのだろうか」そんな不安 も時々頭をよぎる旅なのだ。

◆両親の故郷籠島の人々

 鹿児島市内に向かうフェリーの中から市内のいとこに 電話した。 「今来てるんだけど寄ってもいい?」私の訪 問はいつも突然だ。予定を組まない旅、予定に縛られな い旅がポリシーだからしかたがない。2時間滞在して、 そこから又一時間程の父の故郷串木野市の村に入った。 何の事前連絡もなくおとずれたいとこの家は近代的な住 宅に変わっていた。しかし、村全体の山や田んぼの風景 は昔と全く同じだ。
 53年前父と二人で訪れた時、このいとこ達がまだ幼 い私をおぶり、山や川や海へ連れて行き、ヤギの乳をし ぼり飲ませてくれた。私をまるで若殿様のように手厚く 可愛がってくれた。それが今、私を旅好きにさせた起点 となった。
 父は10人兄弟の末っ子として生まれてすぐ、子供の いない裕福な家に養子に出された。しかし15の時、そこの両親が次々に病死し、又元の親元へ戻された。しか し幸せなことに、親と兄弟から優しく迎え入れられた。
 18歳の時、一人満州に渡り満州鉄道で働き、結婚し、 戦後引き上げて又串木野市に戻った。そして街で自転車 屋を始めた頃私が生まれた。その後私が3歳の時、一家 で、東京に移住したのだ。そんな親父の過去を振り返る と、今の私はその血を受け継いでいたことを認めざるを えない。
 父の育った村はその全体が親類のように親しく、翌日 いとこの案内で、一軒一軒挨拶して回った。「あんさんお らんけ〜、川崎の平おじさんとこのけんたろうさんが来 よったっど」すると「そりゃ、よかっ来よったな〜、ま あまあ上がっていきゃんせ」しかし何年置きかに来る毎 に訪れる軒数は減っている。皆高齢で亡くなっていくの だ。その日、町で入院中の伯母を見舞ったが、その翌日 亡くなったと帰ってから知った。
 一泊だけして、今度は隣町、川内市久見崎町の母の実 家を訪ねた。祖父、祖母の墓参りが目的だ。その墓の前 で川崎にいる母に携帯電話で「今ばあちゃん達の墓の前 だよ」と告げた。もう87歳になる母は「ありがとう」 と云って黙った。手を合わせていたのかも知れない。
 私が小さい頃遊びに行って泳いだ海水浴場は原子力発 電所に変わり、懐かしむ場所はもうなくなっていた。

◆隠れキリシタンのいた天草と島原

 鹿児島を離れ今度は北上し、次の目的地熊本県天草へ 向かった。そこは昔の隠れキリシタンで知られ、入り組 んだ海岸線に囲まれた美しい島々だ。阿久根市から橋を 渡り長島へ、そこからフェリーに乗り天草の牛深市へ。 天草には16世紀頃キリシタン文化が伝来し、その伝道 が盛んに行われた。しかし江戸時代にキリスト教弾圧の 時代があり、天草四郎を頭に農民達が蜂起し、天草島原 の乱が勃発した。300年以上にも渡る迫害の中でも隠 れキリシタンとして信仰は続き、解禁された明治初期よ り、緑豊かな丘の上や、美しい海辺に教会が幾つも建て られた。そんな天草ならではの不思議な風景が強く印象 に残った。

 崎津天守堂の前で、そばにいたおばあちゃんに「入っ てもいいですか?」と訪ねた。「え〜え。どうぞお入りな さい」小柄で丸ポチャのおばあちゃんは、教会から出て くる私を待っていた。そして家から持ってきたのか 「ほれ、これ」と云って冷たい缶コーヒーと小さな羊羹 を差し出した。ノドが乾いていた私はその場で一気に飲 み干し、「あ〜美味しいしかった」と大きな声で云った。 ばあちゃんは嬉しそうにその缶を受け取り、そくさくと 帰っていった。私は羊羹を口に含みモグモグと噛みなが ら再びバイクを走らせた。「いいもんだね」そう思いなが ら振り返るとばあちゃんが道の真ん中で小さく手を振っ ていた。照れ屋なんだあのばあちゃん。またまた嬉しく なった。こんな小さな出来事が旅を楽しくするのだ。
 天草の北端からフェリーで島原半島に入り、走り始め るとすぐにあの雲仙普賢岳が見えた。頂上付近の噴火口 あたりだけが薄茶色の岩がむき出しで、遠くから眺めて も身震いさせられる程の威圧感を感じさせられた。まる で島原半島に君臨する王冠のようだ。私は雲仙の左側を 走り抜け、長崎市に向かった。

つづく

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