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2005年夏・九州一周バイク旅行(vol.2) 店主:東 賢太郎(57歳)
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 この夏、私はひとりで九州をバイクで旅した。その7日目、父の故郷鹿児島を経由し、隠れキリシタンの島「天草」から普賢岳の島原半島を経由して長崎に入った。
 その日は長崎市内に入り、バイクで街を散策し、夜は一昨年の夏長野で知り合った女性ライダーさんと一杯やる約束があった。

<2年前の信州での出会い>
 2年前の2003年夏、私はその年自分で企画した「梶が谷音楽祭」の代表と、新たに始めたWEBデザイン会社の仕事で忙しく、わずか7日間だけのバイクひとり旅をした。3日目の午後、私はあの温泉疑惑で有名になった乗鞍高原にある白骨温泉に着いた。真夏のツーリングで汗と誇りにまみれた身体にとって、高原の露天風呂は正に天国だ。500円払って乳白色の温泉に入ると自分が大自然の懐にいるようで心が洗われた。
 風呂を出てバイクに戻ると、隣にヤマハXJR400の中型バイクが止まっていた。しばらくするとその持ち主が戻ってきた。ショートカットで背の高い20代後半の女性だった。白いTシャツに風呂上がりの汗がにじみ、顔はすっぴんだが眉は太めで睫が長く混血風の可愛い人だった。「気持ち良かったね、デカイバイクで、今日はどこまで?」と尋ねると「長崎を出て4日目で、今日は松本くらいまで。昨日は高山へ泊りました」とソプラノが帰った。「僕は昨日は霧ヶ峰高原でね、今日は松本を抜けて長野市内へ入ろうかと」とお決まりの会話から始まった。結局松本まで一緒に走ることになり上高地やダムや林道を一緒に走った。  
 父親がカナダ人で彼女は福岡で生まれ。今家族と長崎に住んでいる。貿易の家業を手伝い、今年念願の中型バイク免許を取り、旅にでたらしい。「カッコイイね〜ブルーメタリックが君に似合ってるよ」「ですよね〜って自分でいっちゃいけないか(笑)でも林道はやっぱり恐かったわ」、「ゴメンネ道は細いし結構対向車が多かったものね」
途中の「道の駅」でお茶を飲んだりしながら彼女の話を聞いた。「来年くらいにバンクーバーのおばあちゃんの家に行ってしばらく暮らすの。お婿さんを見つけてくれるって云うから(笑)」「何だ、日本の男性は嫌いか?」とつっこむと「そう今はね」と笑った。「そうか失恋でもしたかな〜」「違いますよ馬鹿な男だから私が振ったの」とむきになった。「OK、それ以上聞かないよ、でもかカナダへ行く理由はそれだけ」「いえ、私建築士の資格があるのでいろいろ勉強したいんです。それからカナダはバイク天国ですよ。自然が雄大だし」と早口で良くしゃべった。「旅に出ると人の気分は変わるもんだよね、彼への気持ちは変わらないの」と又余計な話をした。
 「うん、でも多分・・」と苦笑いだった。別れ際に「長崎に来たら連絡下さい」と云われていたのだ。

<約束は守れなかった>
 長崎市内に向かって走っていると何度か携帯電話が鳴った。バイクを止めて電話にでると佐世保に住む私の姪からだ。「叔父さん、今日こちらにこれませんか、今夜は家族が揃うし、皆叔父さんに合いたがっているの。いろいろ商売の相談もしたいし」と強く嘆願された。明日は大分の化粧品仲間の店を訪問する約束があり、このまま佐世保に向かうと、長崎の彼女の約束は果たせなくなる。しかし姪の誘いを受けることにした。詫びの電話を長崎に入れると「何だ残念。夜の長崎を案内しようと思っていたのに」と、応えが帰った。歳がいもなく切なかった。

<佐世保の姪家族達>
 佐世保市内から一時間以上離れた山間部の小さな町で、姪夫婦とその実家が2軒の店を開いている。順調な商売をしているが、姪の夫は変化の少ない地方での商売に悶々としていた。彼も旅好きで、日本各地の山を登り、ヨーロッパも旅しながら絵を書くのが好きだった。すばらしい絵を描く。
 実家の両親や彼等の子供も一緒に、庭のバーベキューで盛り上がりながら私なりのアドバイスをした。「ホームページを開設しな。これからの商売では商圏を広く見る必要があるし、君の絵もそこに掲載して、一気に友達の輪も広がって新しい展開が始まるよ」等と夜中迄話をした。
 姪夫婦は上高地のホテルで知り合い、そして数年後そのホテルで結婚式を挙げ、彼の実家のある佐世保で、親の店の支店を開いた。彼の両親はこの上もなく優しい人で、幸せな姪を見て来た甲斐があった。帰りに姪が「無理言ってゴメンナサイ。でも来て頂いて本当に嬉しかったです」その気持ちのこもった言葉に私はぐっと込み上げそうになった。姪は9月初に二人目の女児を出産した。

<厳しい化粧品業界>
 朝早く佐世保をでて昼頃、大分県の日田市にある知り合いの化粧品店に着いた。面識はないがメールで数回話しをした店だ。30代の彼は二代目で誠実ないい男だった。 
 化粧品業界は5年程前から全国的な安売り合戦で、化粧品店もドラッグストアもかなり厳しい状態がある。他の物販と違い、大手メーカーの化粧品は現金で大量なら安く仕入れられる、というものではなかった。結局利益を削って売るしかなく、それでは成り立つはずはなく、どんどん廃業が増えていた。そこで全国でも特に技術力や経営基盤のしっかりした店は、価格の崩れていない品質の高いスペシャルブランドを手間を掛けたカウンセリングで販売し、元気を盛り返していた。薬と一緒で、いくら安くても肌状態に合っていなければ、又正しい使い方やテクニックも教わらなければ本当の美しさは得にくいからだ。血圧やレントゲンのように、肌の水分や油分、メラニン等を美容機器でしっかり測定し、高度な技術と理論があってはじめて正しい診断とアドバイスができる。彼の母上は美人で優しくしっかりした技術もあり、ここならお店のファンは多いだろうと感じた。

<博多のミュージシャン達>
 その後、太宰府天満宮を巡って夜の博多に着いた。中洲は金曜の夜だからか、ものすごい賑わいだ。若者向きのライブハウスに入った。親衛隊が中心で盛り上がっていたが、演奏も歌も単なる受け狙いでつまらなかった。もっと自分の言葉で歌って欲しい。そうでなければもっとしっかりしたサウンドを聞かせて欲しい。2500円払って10分で出てしまった。街角で電子ピアノで歌っている人がいた。50才位で見かけはしょぼくれたおっさんで、前に置いた投げ銭入れの缶には310円だけ。しかし声が透き通って素晴らしく、歌も演奏も聴き応えがあった。私はジーパンのポケットにあった小銭を全部入れリクエストした。人が集まり出した。背広姿のおじさん達に混じって若いカップルも立ち止まった。客のリクエストにほとんど応えた。泥酔気味のおやじが「あんんたの歌はよか〜。感動したとよ。どんどんやり〜」と言って五千円札をピアノの上に置いた。すると人々から「オ〜!」と一斉に拍手が湧いた。一生懸命歌う彼の歌には心があった。
 その場を離れ30分程歩いて又戻ると客はいなかった。「どう、稼いだ?」「ええ、もう昨日の3倍ですよ」と嬉しそうだった。「よかったらおごるから一杯やらない?」

 二人で彼がよくいくの屋台に座った。両隣りの屋台は満席だったがそこだけ客はいなかった。「町は凄い人出だね、景気がいいのかな」「いや〜今日だけ、景気は悪いよ。どこから来よるの?」「川崎からバイクで九州を一周しましたよ」「よかね〜」。おでんで一杯やった。「このおでん凄い美味しいね」おっさんの顔がほころびた。シンガーの彼は他の仕事が入っていない時は毎日同じ場所で唄っている。「歌が好きなんですよ、そして皆さんに聴いてもらうことが」と隣で酒を飲む彼の気持ちはきっぱりしていた。いつ又いつ火が付くかもしれない。いい歌を唄うシンガーだから。

 九州の人口は1350万人(全国の11%)。他の地方と同じく、郊外に大規模のショッピングセンターがどんどん増え、駅前や町の商店街はだんだん寂れていく。企業も商店も資金力のある大手に責め込まれ、買収され、地場のスーパーやドラッグストアの名前も変わっていくのが見えた。地方の暖かみが薄れていかないか心配だ。

<下関の頑張る女性達>
 関門海峡(門司から下関へ)を橋で渡り、下関へ入った。武蔵と小次郎の巌流島や、源義経が八艘飛びした壇之浦のある町だ。

 近くの夢広場でヒップホップダンス大会が開催され、その会場にカラー占いのコーナーがあった。若い女性二人がちょこんと座って手持ち無沙汰のようだった。「ちょっと見てもらおうかな」と声を掛けて座った。
 二人でエステティックサロンをやっていると云う。「私の店でもエステを」と話すと彼女達の夢の話がはずんだ。成功して私のように自由に旅がしたいと云った。
 夢の話は楽しい。どんどん人に話すことが大切だ。不言実行なんて古い考えだ。旅から帰ると可愛い封筒で手紙が届いていた。


▲私が選んだ5つのカラーバリエーションで占った


▲映画『四日間の奇蹟』のロケ地となった下関市角島

<津和野での出来事>
 下関から夏の美しい日本海を左に見ながら「萩」を経由し、「津和野」に入った。


 駅前の格式のある旅館に格安で泊めてもらった。私は宿と交渉する時、必ず6時以降に、ヘルメットを抱えて「予算がないんで小さな部屋でいいですから安く泊めてもらえませんか」と云って交渉する。空いた部屋があると大体半値以下でまとまる。目の前のお好み焼やで一杯やった。三人で旅して来た看護婦さん達が席に誘ってくれた。神戸の人達だ。「夏なのに観光客が少ないね。さっき内の娘に電話したら、津和野を知らなかったよ。」と話すと「津和野が賑わったのはここの歌が流行った25年位前迄ですよ」と教えてくれた。「そうよ、昔は通りは人で埋まってたもの」店のおばさんが寂しそうに云った。


 翌日、津和野の「道の駅」の寄り煙草を買いに2〜3分バイクを離れた。戻るとタンクにのせていたバックがない。やられた。
 金目のものは何もなかったが、私にとって大切なものが幾つか入っていた。見つかるはずはないので断ったが店の人が駐在さんを呼んでくれた。皆とても親切だった。
 折角だからお巡りさんにバイクの前に立ってもらい写真をとった。私は呑気な性格だ。
 翌日津和野役場から我が家に電話が入った。「バッグが役場の前に落ちてました」
 入っていたバイクの保険証で住所が分かったのだ。津和野は武家屋敷が残る親切ないい街だった。

<姫路の女性経営者>
広島県三次市の従兄弟の家に一晩お世話になり、20年振りに楽しい酒を飲んだ。
 そして翌日、姫路に入った。瀬戸内海に面し、神戸に近い50万人都市姫路には世界遺産「姫路城」がある。白鷺城と愛称の付くこの城は日本一の美しさで、さらに難攻不落の仕掛けが随所に施された立派な城だ。

 知人の化粧品店を訪問した。二代目の娘さんが、母上と二軒の店を切り揉みしている。沢山のスタッフを統制し、売上げを拡大させるのは決して楽なものではない。
 メールや東京での勉強会で面識のあるお嬢さんと店の運営について意見を交わした。
 支店はショッピングセンターにあり、大きな実積と質を確保しているが、今年近隣に新しいショッピングセンターがオープンし、今後の戦略が課題なのだ。数年前に東京からIT関連のお仕事をするお婿さんを迎え入れ、子供も生まれ、主婦業と経営と両立に苦しみながらも立派にこなしている。
 私の子供は娘二人。当店の将来の跡継ぎ問題は先が見えない。そして一般的には跡を継ぎたい位のやり甲斐のある店であるかが重要な問題なのだ。私も頑張らねば(笑)

<私は阿呆なライダー失格者>
 夕方姫路から神戸に向かう高速道路上でトラブルが発生した。エンジン付近から煙りをはき、以上燃焼したらしくガス欠で止まった。情けない。お盆前でJAFは一時間以上かかると云う。ガードレールの外側で枕を置いて一眠りしていたら。けたたましくサイレンを鳴らしてパトカーが来た。
 「道路に人が倒れている」と通りすがりの車が110番

したのだ。怒られた。当たり前だ。自分は安全のつもりでも、事故かと心配してくれる人がいるのだ。反省!

<グローバルな先輩の生き方>
 神戸の夜は久々大学の倶楽部の先輩と一杯やった。ロンドンでサッスーンカットを学び、ニューヨークのカット選手権で優勝し、今30店以上の美容室を持つ。しかしその事業は兄上に任せ、アメリカにも家を持ち、むこうでIT関連セキュリティー事業を成功させ、その仕事で往復している。妻や子供達は、アメリカとタイに離れ住み、神戸に一人暮らし。「お前は家族皆で同じ仕事をし、一緒に住めて幸せだぞ」と云う。
 私もそう思っている。彼も心は家族とつながっているが、グローバルな生き方にはせつなさがあるだろう。彼とは収入もスケールも全く違うが、喜びや苦しみを分け合える家族がいつも一緒と云う現実に満足だ。
 0時前、彼の娘さんから携帯に電話が入った。ただの父親で幸せな顔に変わった。


▲神戸中華街

<馬鹿な父親の存在>
 十年前に他界した父の故郷を巡る旅の終着は、御殿場の墓である。私ももう27年父親をやっている。私は馬鹿で気紛れで決して尊敬に値する父親ではない。しかし、娘から見ると、自由気ままなで、ほっとけない愛すべき親父らしい。と自分で勝手に思っている。私の親父がそうだったからだ。

つづく

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