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2005年夏・九州一周バイク旅行(最終回) 店主:東 賢太郎(57歳)
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その最終回『神戸〜御殿場まで』

 2005年夏、私は川崎から鹿児島までひとり15日間バイクで旅をした。東京有明からフェリーで四国の徳島を経由し門司港に入り、九州を一周。その後福岡から下関に戻り中国地方を巡りながら神戸へ。そして11日目は神戸から京都を目指した。

<30年前の京都の定宿>

 大阪を素通りし京都に入ったのはお昼前だった。京都は盆地の為、冬寒く夏は暑い。
  実は今から30年程前、私は婦人服メーカーの企画室に勤務していた頃、週に一度は京阪神に出張し京都にもよく泊まった。四条河原町に近い八坂神社の横にある小さな旅館が定宿で、そこは母娘の二人だけで営んでいた。その家庭的なサービスや、いつも着物姿でおっとり話す二人の京都弁がたまらなく色っぽく風情があった。娘さんは当時私と同じ歳( 27才位)だったと思う。だのに部屋に運ばれる朝御飯を少しでも残すと「朝はしっかり食べなあきまへん」と子供を諭す母のように私を優しく叱った。なぜか我が家にいる気分だった。

 ある時、河原町で飲み過ぎ連絡もせずに朝帰りになった。部屋に朝御飯を運んで来た娘さんの言葉が今でも忘れられない。「うちとこの旅館ををどう思ってはりますか」この一言が胸にガツンと来た。心配してくれたのだろう、そして小さくとも歴史ある宿としてのプライドもあったかもしれない。「スイマセン」素直に謝った。
 その後私はその宿を一度も訪れていない。
  すまなかった、と云う後ろめたい気持ちもだが、京都へ泊まる機会がなくなったからだ。顔を見せなくなった私をあの母娘さんが心配しているだろうなと、私も気にしたままで長い年月は過ぎた。
  その宿は「まだあるのかな」と細い横道に入ると、あった。ほぼ昔のままだ。しばらく中の様子をうかがったが入る勇気はなかった。昔のたった一人の客を覚えているはずはない。しかし再びバイクで走りだしてから「やっぱり声をかければよかった」。
 バイクでのラフな旅なので「覚えていません」と答えられても「いやいいんです。懐かしかったから」と答えればすんだことなのに。あの娘さんがもしまだそこにいたら私と同じ57歳だ。

<滋賀の3軒の化粧品屋さん>

 京都に近い滋賀県には親しい化粧品屋さんが3軒ある。皆親から引き継いだ店の経営に真剣に取り組んでいる。大津市本堅田のショッピングセンター「平和堂」の中に出店している「フローラ」さんを訪ねた。
  経営者は背が高く誠実でハンサムな30代の独身男性だ。近くリニューアルする関西系のスーパー平和堂の中で、今後どのような戦略でいくべきか悩んでいた。今や地方も大都市も場所さえ良ければ売れた時代は終わっている。いかに地域のお客さまに支持されるか、それは質の高い技術や誠意ある経営姿勢だろう。彼はそれを十分認識し、顧客満足志向へ邁進中だ。メールをとおして全国に仲間も多く勉強家で、堅実な発展が期待できる店だ。

 2軒目のお店は琵琶湖の左側を上に上がった近江今津町にある「香生堂」さんだ。30代の経営者は奥様と、まだ小さなお子さんと御両親の5人家族で店を商っている。

 駅前の小さな商店街に立地しているが、郊外のショッピングセンターの影響を受け昔のような賑わいはないと云う。地方の小さな町といえども市場環境の変化に対応しなければ商売は存続しない。彼は値引き合戦に影響を受けない特徴ある化粧品ブランドを主力に、得意なパソコン技術を駆使し、ホームページの力で遠くの町からもお客様を呼び込んでいた。経営を譲った父上の優しい眼差しが彼に自信を与えているのが分かる。家族が一致団結して商いをしている店はそれなりの強さがある。

 そこから日本海はわずか40分程の距離で、その晩私は原子力発電所のある「敦賀」に泊まった。広い西の海に沈む夕日が見たかったからだ。町はずれの海岸で海に沈む大きな夕日を見送った。あの向こうの中国ではまだ燦々と太陽が輝き、その先のヨーロッパは新しい日の出を迎えている。何があろうと陽は沈み、陽はまた昇る。その絶対的な存在の太陽を見ていると、太古の時代に太陽を神と崇めた人々の思いが分かる気がした。
  翌日滋賀県甲賀市にある有力化粧品専門店「つかもと」さんを訪問。そのお店のホームページ製作を依頼されていた。私は現在、我が店「樹音」の3階に別会社を作りホームページ製作やパソコンによるデザイン製作を長女等と行っている。
  甲賀市は忍者の里だ。隣の伊賀市も忍者で知られ、今上映中の映画「 SHINOBI」の舞台でもある。事前にに送っておいたデジカメで店やスタッフの撮影、そして取材も行った。ご店主の経営手腕もだが、奥様やスタッフの方々の人柄や技術力のすばらしさを感じ、制作意欲が湧いた。今そのWEBサイトが完成間近だ。  http://bcare.jp  
  地方の小さな町と云う立地環境だが、想像した売り上げより遥かに高い実績を挙げていた。バイク旅行の途中で、仕事をするのはついでみたいで気が引けたが、時間と経費の節約になる。甘えさせてもらった。

<三重県津市の化粧品屋さんの親父>

 取材を終え、そのまま鈴鹿峠を横切り三重県津市に入った。夕方6時。まず宿探しだ。現在の経済環境の中では地方都市のホテルや旅館の料金は外観だけでは判断できない。「高いかも」と思いながら聞くと驚く程の低料金だったり、メールで予約すると大きな割引があったりする。
  立派なホテルで海の見える広くきれいな部屋を¥ 7000で決めてから、知り合いの化粧品屋さんに電話。三重県ではトップの有力店だ。「突然ですが参上しました。今時間ありますか?」、すると「おいおい、びっくりさせるなよ。ここからその部屋が見えるぜ。じゃあ飯でも御馳走するよ」と東京での修行から帰った息子さんを連れて迎えに来てくれた。

  「津はね、うなぎがうまいんだよ。」「そうですか、桑名が近いから焼きハマグリかと思いましたよ(笑)」「まあ黙って食べてみなさい」60過ぎのご店主が豪快に笑った。
  帰って来た跡継ぎの長男との経営に対する価値観の違いがどの位なのか、父親の期待と不安が会話の中ににじみ出ていた。どこでもそうだが、父と成人した息子との会話少ない。私は気を利かせて息子さん中心に話を進めた。時代を見据えた経営理論が返った。外に出てから、親父さんに「樹音さんよくぞ聞いてくれた。わしにはなかなか聞けんかった事ばかりだった」。私は息子に対する父親の厚い気持ちを感じた。

<どこへ行っても旅の情けは心にしみる>

 翌日、伊勢神宮や志摩のスペイン村へ。さらに鳥羽からフェリーで伊良湖岬へ渡り、浜松、静岡と気侭に走り、たくさんの人々と出会い、別れ、町や村の人々の旅の情けに酔った。

清水港からフェリーで伊豆の土肥へ渡り、修善寺経由で伊東温泉に着いた。リゾート客で賑わっていた。夜6時。

<情けあるシーサイドホテル>

 海辺のリゾートホテルの玄関に駐車係りのおじさんがいた。「キャンセルで空いた部屋があったら泊まりたいんだけど、朝食付きで¥ 6000で頼んでみてよ」「キャンセルはあったけどそれは無理だよ。この時期一部屋3人で五万が相場だよ」と笑って相手にされなかった。「でも空けておくよりいいでしょう。取りあえず聞いてよ」と哀願し彼の肩を押しながら一緒にフロントに行った。結局夕食もついて¥8000で決まった。目の前が海水浴場で部屋も豪華で広かった。

中華バイキングで食事をしていたらさっきの駐車係のおじさんが声をかけてきた。「うちの息子も今バイクで旅をしているんですよ。でもテントで野宿だけどね(笑)さっき電話したら斑尾高原だって、いいね若い人は」とうれしそうに話した。
  私達はロビーのベランダで煙草を吸いながら一時間程しゃべった。全て息子さんの話だ。「あいつは何を考えているんだか」定年後このホテルに再就職した60半ばの彼はフリーターをしている末の息子の事が心配だった。「旅をするとか、やりたいことがある内はOKでしょう。何も望まなくなったら心配すればいいですよ」と生意気に答えた。その間ホテルの支配人も少し加わり「お客さん、旅が上手だね(笑)」なんて云われた。「ここみたいに旅人に優しいホテルは繁盛するはずですよ」と調子のいい答えを返した。暖かいホテルだ。
  露天風呂に入ると雨が降っていた。急に家が恋しくなった。明日はもう返ろう。

<家族揃って親父の墓参り>

 朝早く家内から電話が入った。「今日おばあちゃんもつれて皆で墓参りに行こうと思うけど、あなた今どこ?」そう云えば昨日電話してなかった。「伊東温泉だけど、だったら俺も行くよ」この旅の最終地は親父の墓がある御殿場に決めていたのでちょうどよかった。
  箱根を越えて御殿場まで約2時間だった。
  富士の裾野にあるお寺の墓地は父が生前自分で準備してあった。故郷の鹿児島では遠過ぎて私達と離れてしまうからだ。墓に手を合わせるとその後ろに富士山が見える。
  久々家族総出の墓参りを一番喜んだのは84歳の母だった。私の父は若い頃一人で満州に渡り、妻を鹿児島から迎え入れ、戦後引き揚げて苦労した。貧乏な家庭だったが、私は何でも好き放題やらせてもらえた。
  52年前、父と鹿児島まで旅した夜行列車の座席で、父のひざ枕で眠った思い出が今でも忘れられない。私の旅好きの原点がそこにあった。小学校の頃から一人旅は始まり、学生の頃もアメリカやヨーロッパを気侭に旅した。「どこへでも行け」が父の口癖だった。父が死んで丸10年。私も親父に似た馬鹿な親父になった。


つたない素人の旅行記を最後までお読み下さりありがとうございました。

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