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2006年5月G.W.能登半島一周バイクの旅 店主:東 賢太郎(57歳)

5/3(水)川崎〜調布(中央自動車道)諏訪湖〜松本
<バイクの買い替え>

GWを前にバイク旅行の準備を始めた。8ヶ月間エンジンをかける事のなかった「YAMAHAオフロードバイクTTR250」のスターターは半年以上放置したら回るはずがない。バッテリーが完全にいかれていた。そろそろこのバイクに別れを告げる心境になった。車のバッテリーにつなぎ始動させ、梶ヶ谷の246添いにあるバイクショップ「レッドバロン」に乗りつけた。ここで以前目を見つけていたアメリカンバイク「YAMAHA DORAG STAR400」に買い代える為だ。一昨年の夏、東北自動車道でエンジンを壊した時、このレッドバロンさんが大変親切に川崎まで陸送してくれた恩があり、買い替えはここでと決めていた。

山や川の中まで走れるオフロードバイクと異なり、アメリカンバイクは車高が低く車体が長い。色は白。若い人が乗る「走り屋のレーサーレプリカタイプ」とも違い、旅をしたり、街中をゆったり走るのにはこのアメリカンが適している。暖かくなるこれからは、仕事の後一人で六本木あたりへジャズを聞きに行くにも良い。

<マトリックスの女性ライダー>
今回は能登半島一周のひとり旅だ。川崎を朝10時に出発。道路の込み具合を考え調布から中央高速道路に入った。既に凄い渋滞。側道走行は車もバイクも違反だが、車と車の間を走るのは許されており、バイクはそこを約60Km位ですりぬけ走行ができる。
しかし側道走行違反でツーリングの大型バイク4台のグループがつかまっていた。見ると年輩のライダー達だ。誰ひとり「違反はよそうよ」と云えなかったんだろうか。

途中のサービスエリアで二人組の女性ライダーと出会った。おそろいの黒い「HONDAスティード400(アメリカンタイプ)」で、服装も黒のレザーの上下に黒のヘルメット。
「カッコ良すぎるね、マトリックスにでてきそうだな」と声をかけた「ほんとですか、嬉しい、初ツーリングなんですよ」。20才くらいの二人は昨年ロサンジェルスでハーレイダビッドソンの走りを見て憧れたらしい。「今日は白樺湖〜霧ヶ峰高原を廻るの」、「それなら諏訪湖畔にローマ風の大衆浴場があるから暖ったまってから登るといいよ。どこから来たの?」と話すと「厚木から。最終的には長野の白馬村まで行こうかと」。すると隣に着いたばかりのスクターの男性ライダーが「カッコイイネ〜、雑誌の撮影でもあるんですか?」と冗談まじりに話に加わった。見知らぬライダー同志でもすぐに気軽に話がはずむ。結局4台で諏訪湖畔の大浴場に行く事になった。

 その温泉は片倉館と云う公衆浴場で、昭和3年に造られた。石造りのロシア風?の外観で浴場は一度に百人以上は入れそうな四角いローマ風呂のりっぱな大浴場(500円)だ。
この片倉館は、昔製糸業で富みを得た片倉家が地元住民への還元のために隣の美術館と共に建てたものだ。私は学生時代、ヒッチハイクの途中この浴場の入り口で野宿した経験もあり、諏訪湖を通ると必ず立ち寄ることにしている。大きなガラス窓から入る光で湯気が乳色にゆらぎ、のんびりと熱めのお湯を楽しんだ。
湯から上がり、小さなグラスで一本の地ビールを皆で飲み、ドット疲れの出た4人は2階の広間で一時間程昼寝をした後、それぞれの目的地に向かい走り出した。

<ほろ苦いバーボンの味>
夕方7時頃に着いた松本市街は異常に満室だらけで宿を見つけたのは夜の9時、17軒目だった。安宿の薄い壁の左隣りからアベックの悩ましい声、右隣りからは小さい子供達のドタバタが遅く迄続き、私は外へ一杯やりに出た。
古い昔ながらのスナックに入ると、50代後半くらいのママが一人で酒を飲んでいた。入るなり「いらっしゃい、今日は貸し切りだよ」の声が大きく響いた。「ママ、一人で飲んでたの?俺バーボンが飲みたいんだけどあるかな?」「あるさ」と云って奥の方からまだ封を切っていないIWハーパーをドンと分厚い木のカウンターへ置いた。正月に帰るはずだった大阪にいる息子さんの為に用意していたものだ。地元の女性に振られて街を出て6年目らしい。正月に帰ると云うので、暮れに金を送ってあげたらそれっきりとのこと。
バーボンをストレートで5〜6杯飲んだ頃、私の声も大きくなった。「息子って照れがあってね、俺もそうだった。でも気にしていると思うよ。多分もう少し胸をはって帰れる時までと思っているんじゃないかな」。するとママは「やさしすぎる馬鹿な子なんだよ。今も苦労してるはずよ。」と小さな声でつぶやき、タオルで顔をおおった。結局夜中の1時過ぎまで二人で飲み、バーボンはほぼカラになった。「これ、又来る時迄とっといて」「いいよ新しいの入れとくから又おいで」。

宿の玄関は鍵が締まっていた。空いていた裏の扉から入り真直ぐトイレに向かい、胃の中のものを一気に吐き出した。朝、目が覚めたら2階の廊下だ。部屋の鍵をトイレに落としていたのを後で知った。

5/4(木)松本〜乗鞍(白骨温泉)〜奥飛騨〜富山市
<奥飛騨慕情>

松本から野麦街道を走り、上高地にちかい白骨温泉に着いたのはお昼頃だった。あの温泉疑惑で一時期閉鎖していた白骨温泉は昔程のミルク色ではなかったが、幾分白く濁ったお湯は少しぬる目で、すぐ脇の谷川の音を聞きながら自然にしたるには丁度良かった。

岐阜の高山まで一時間くらいの距離だが、混雑を裂け奥飛騨経由で富山へ向かう事にした。

谷間をぬうように走る県道の脇には狭い田んぼが連なり、田植えの真っ最中だ。今は昔と違い、機械がみるみる苗を植えつけ、きれいなラインを残して進んだ。初夏の日射しが植えたばかりの緑の苗をさらに鮮やかに見せていた。私は一服しながらしばらくその光景を眺めた。通りかかった婆ちゃんが「どこから来たの」としわくちゃの笑顔で尋ねた。「川崎からだよ、あれは、おとうちゃん?」と私が聞き返すと「息子だよ〜」と笑顔で答えて立ち去った。
カンカン照りの暑さに着ていたジャンパーを脱ぎ、Tシャツ姿で叉バイクに乗り、昔ヒットした「奥飛騨慕情」を唄いながら更にアクセルを蒸かせた。山間の緩やかなカーブの多い林道を走るのは気持ちがいい。ハンドルは使わず軽く身体を倒すと右へ、左へ、緩やかな弧を描き、目の前に次々と新しい景色が飛び込んでくる。自然の中で何からも制約されず、快調なエンジンの音だけが身体を伝って心を満たす、正にライダー至福の時だ。



<奥穂高からのアルプス展望>
途中に「奥穂高ロープウエイ」の看板が見えた。高い所が好きな私は進路を変えた。
120人乗りの2階建高速ロープウエイは7分で2200mの頂上へついた。まだ白く雪のかぶった北アルプスの槍ヶ岳や穂高連峰等、3000mを越える険しい頂きが目の前に連なって凄い眺めだ。

展望台の足下にもまだ深い雪が残り、尾根つたいに重いリュックを担いで歩いて来た熟年のトレッカーさん達の真っ赤に日焼けした顔が満足そうだった。山を降りて沢伝いに走ると、雪解けの水が勢いよく流れ落ちていくのが見えた。山にも夏到来だ。
奥飛騨温泉は静かだった。歌(奥飛騨慕情)のヒットした昔程の賑わいはないのだろうか。そう云えば昨年夏に走った、山口県の萩や津和野も「賑わったのは歌で有名になった頃の10年間位で、あれから15年以上客は少ないよ」と宿の主人が寂しそうだった。

<東横ホテルがある富山市街>
富山市でも宿探しに苦労した。駅前に、あの建築条令違反の「東横ホテル」があった。以前他の都市で宿泊したが、あの事件以来安くても泊まりたくないと思った。最後はなんとか高い料金を払って、ホテルを確保したが、部屋は狭く、天井も異常に低く、サービスと云えばベットに折り鶴が1羽置いてあっただけ。商売人の私にはその料金が理解できず、腹が立った(^-^)。
夜の居酒屋では隣のテーブルの大阪から来ていた若者3人組と旅の話で盛り上がった。余りに気分よく楽しかったので「今夜は俺がおごる!」と、おやじ顔で胸を張った。
自分も若い頃さんざん旅先で多くの人々から「旅の情け」をもらったのだ。いや今でもその「情け」は多く、だから旅は楽しい。

5/5(金)富山市〜氷見〜和倉〜珠洲市〜輪島
<海のきれいな能登半島>

富山市から能登半島の入り口までは約1時間。天気は快晴。能登半島は国道249号で一周でき、春〜夏場はバイクも多く、パーキングには全国のナンバープレートが並んでいた。能登の付け根にあり「天然のいけす」と云われる富山湾に面した氷見(ひみ)漁港では「海鮮館祭」、そして七尾市の「港祭」は町毎の大きな山車も出て凄い人出だった。私は七尾湾に浮かぶ能登島を巡り、湾に面した絶景の温泉場、名倉温泉に入った。



ここには全国人気NO.1の旅館「加賀屋」がある。午後の玄関にはぞくぞくとバスや車が到着し、和服の仲居さん達が元気の良い挨拶で迎え入れている。その表情はとても明るく自信に満ちた振る舞いで、旅行者もホットした笑顔で中へ入っていく。湾に面した5階建ての和風旅館の外観はとても品と趣きがあり、外から見ただけでもその質にこだわる姿勢を感じさせた。昔私も招待旅行で宿泊したが、個人旅行の私には敷居が高すぎる。
この旅行記を書いている今日(5/16)新聞に「小泉首相が5/20に名倉温泉宿泊予定」とあった。多分この加賀屋泊まりだろう。私は安宿を目当てに能都半島の突端に向かいさらにバイクを走らせた。

途中立ち寄った海岸の水はどこも底が透けるくらい透明度が高く、学生時代訪れて素潜りした思い出が蘇えった。中央部で能登空港に近い穴水町からさらに一時間走ると能登半島突端の珠洲市(すずし)に入った。すでに暗く、街もさみしく、ここでの宿泊は見送った。

昼間であったら、能登でもっとも美しい「木ノ浦海岸」や、青い海と白い砂浜が続く能登一番の透明度を誇る美しい海水浴場「鉢ヶ崎海岸」が見れたはず。そして少し輪島方面に向かうと、日本でただ一カ所、今でも500年前と同じ方法で行われている「揚げ浜式製塩」を行う「奥能登塩田村」も見学できたはずだ。私はこの街を素通りし、朝市で有名な輪島に向かった。
輪島はホテルや旅館が少ない街だが、幸い安くて親切な民宿「あすなろ」が歓迎してくれた。朝食付きで5500円。何よりも少し腰のまがった年輩夫婦の暖かいもてなしと大きなお風呂が、夜道で冷えた私の心と身体を暖めてくれた。

<輪島の漁師さん>
湯上がり後、近くの居酒屋で漁師さん達と酒を飲んだ。「明日も漁に出るの?」と尋ねると「おらじゃあま(俺の妻)と二人で、夜中の3時に船を出して、昼過ぎに帰る。」輪島から能登半島の上の方迄周りながら、甘鯛やハマチを捕るらしい。そこで「僕も船に乗せて!」と強くせがんだ。初めは嬉しそうに歓迎気味だったが、周りの漁師さん達が、「やめとき、たった8トンの小さな船で外海を廻るから、漁師以外は身体がもたんよ」「いや僕は船酔いに強いし、吐いたって構わないから」と食い下がったが、「そんな甘かない」と強く笑い飛ばされた。「途中で船を戻す訳にはいかんのやから、やめとき」の言葉に、私は確かに迷惑をかけることになるかもしれない、と思いとどまった。
その71歳の漁師さんは社交ダンスと歌が趣味だという。張りのある声のカラオケと、下ネタ話で周りを大いに楽しませてくれた。私もその歳にはこんな爺さんになりたい。



5/6(土)輪島〜白河郷〜(東名高速)〜川崎
<圧巻の田棚>

翌朝7時からの輪島の朝市を楽しみ、漁港や周辺のすばらしい海岸の景観を堪能した。輪島と南に下がった曽々木海岸の中間地点(能登の主要国道249号線沿い)の、海に向かった広い斜面に、段々状に小さな田んぼが千枚以上の棚田が広がっていた。名勝「白米の千枚田」と云われる国定指定文化財だ。既に水張りが終わり、5/13に200人のボランティアにより田植えが行われるらしい。何百年も前から、この過酷な自然の条件に見事に対応した圧巻の美しさを見た。



私は、翌日(5/7)の雨予報を知り金沢行きを諦め帰路に着いた。北陸東海道路で途中合掌造りの家が建ち並ぶ「白川郷」に立ち寄った。かって冬は雪で閉ざされ、陸の孤島であった飛越峡の最奥の山村「荻町」だ。建築学上合理的で理論的と云われる合掌造りの中は想像以上に広く、2階は100人で宴会ができる程だ。



岐阜から渋滞する夜の東名高速に入り、ただひたすら走り続け自宅に着いたのは夜の12時だった。4月から娘二人は家を出て三軒茶屋で共同生活を始めた為、我が家では家内と猫3匹が待っていた。家内が「明日は雨だから絶対今日帰ると思ったわ」と、私の行動はいつもバレバレだ。私は小さい風呂につかりながら「やっぱり我が家はいい」いつも自由に旅させてくれる上さんに感謝。もう結婚して早31年、我がままな私が、今迄も、これからも幸せな人生を確信できるのは、すべて上さんのお陰と心から感謝している。
「ウソ、冗談だよ(^-^)/」
走行距離約1800km、4日間の能登半島一周バイクの旅でした。

おわり



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