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2006年8月フランス3,500kmドライブの旅 店主:東 賢太郎(58歳)
その2

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<高速道路事情>
 ジャンヌダルクの町オルレアンを出発し、南のブルージュへ向かった。フランスの高速道路は制限時速130km。そんな速度で景色に気を取られて走っていると、即追いこされる。そして「なにトロトロ走ってるんだ〜!」とフランス語で云われていたのかも知れない。向こうの人たちの運転は結構荒くせっかちだ。20〜30km毎にサービスエリアがあり、レストランとセルフのガスステーションがある。それは日本と比べると4分の1位の規模で、お土産の呼び込みがあるでもなく、のんびりした雰囲気だ。バカンス時期だからか、キャンピングカーが目立つ。後ろに自転車を3台位ぶら下げて、「いざバカンスだ!」と叫ぶようにカッ飛ばして先を急ぐ。



<フランス バカンス事情>
 フランスは35年程前に、法律で年間24日の有給休暇が義務付けられた。祝日も加えると5週間分の特別休暇がある。バカンスは働くものの報酬と云うより権利となった。日本のように遠慮しながら休暇申請を出すなんて云うことはなく、当たり前に3〜4週間取り家族ででかける。だからその時期のパリは、いわゆる観光客ばかり、と云う状況が生じるのだ。
 テレビ局も同じ状況で、番組制作もバカンス中は手抜き放送が多い。アニメや古い映画や再放送番組が多く、「只今お休み中」の表示のチャンネルもあった。ただし国民全てがその恩恵にあずかっている訳ではなさそうだ。観光地やリゾート地で優雅に楽しんでいるのはほとんど白人で、たまに見かける黒人は働いていた。今フランスの景気は悪く、アフリカやアジアからの移民系フランス人への差別が目立つようになり、それに反発する人々の暴動騒ぎがニュースとなっている。「誰のお陰でそんな長いバカンスが取れているんだ」と優雅に遊ぶフランス人に云ってやりたかった。



<クレルモンフェランの日本人シェフ>
 ブルージュは大雨の為通過し、さらに南下した。フランス中部の中央高地にある小都市「クレルモン フェラン」へ入った。そこは中世の面影をたっぷり残す町で、ミネラルウォーターで知られるヴォルヴィックの溶岩を使って建造した、黒く煤けた石造りの大聖堂や建物が残り、暗いイメージの漂う町だった。
 昔司教達が多く住んだクレルモンと、貴族達が暮らしたフェランが合併して今の名前になっている。そして、この町はタイヤメーカー「ミシュラン」の本社があることでも知名度は高い。



 ホテルを確保し、レストランを探して町を散策していると、日本料理店のテラス席に日本人男性が一人で食事していた。声を掛け同席し話をした。東大大学院在学のままでフランス文学の研究の為2年前この地に来たらしい。明日はパリの大学へ向け経つ前夜で、親しくお世話になったこのレストランに来たと云う。
 大トロの刺身と、とんかつと、揚げとうふを食べた。海外でこんなまともで美味しい日本食は初めてだった。フランス在住25年と云う日本人シェフが加わり会話は続いた。 
 閉店後、シェフに誘われ3人でワインを飲みに近くのカフェに入った。彼の日本を出てからの話では、私が学生時代利用した同じルート、「横浜〜船〜ロシア、東欧経由」でヘェルシンキに入り旅を始めたそうで、共通の話題で弾んだ。盛り上がった今年のワールドカップの話では、あのジダンの行為に対して「あいつは昔からラフプレーの多い選手だから」と厳しい見方が一般的なようだ。



 私と同じ年のシェフに「もうそろそろ日本に帰りたいのでは?」と聞くと「5年位前に、一度神戸のレストランで働いたけど、こっちみたいな休みがなくてね、半年もいなかったよ」。そして独り身の彼は「働けなくなったら日本に帰るよ。やっぱり日本人だからね」と、短いあご髭をボリボリかきながら云った。
 午前2時頃の帰り道、一人で大聖堂正面に真っすぐ向かうショップストリートのゆるやかな坂を歩くと、まだカフェのテラス席は若者達で賑わっていた。



<ル・ピュイで見た驚きの礼拝堂>
 翌朝、150km離れた山奥のル・ピュイを目指した。この旅で一番見たかった岩山の上に建てられた礼拝堂「サン・ミシェル・デキュイユ」が目標だ。日本なら奥飛騨にあたるような山奥にあり、交通手段は車のみ、観光客の少ない小さな町だ。しかし中世の頃はスペイン西端にある聖地「サンチャゴ・デ・コンポステラ」を目指し、ヨーロッパの人々が通る巡礼の道にあり賑わった。
 カーブの多い狭い道を幾つもの山を越え、右手にその町が見えてきた。町の中央に微かにそれらしき細長い岩山が見えた。「あれがそうかな、小さいな〜」、一気に山を下り、その岩山に辿り着いた。



 10世紀に建てられたもので、高さが82mあると云う鉛筆のサックのような急勾配の岩山で、その頂点に小さな礼拝堂がある。真上に伸びる階段を登ると、古い小屋のような石造りの簡素な礼拝堂があり、数人の人が静かに祈りを捧げていた。建物の周りをぐるりと回りながら町の景色を眺め、「あの山を越えて来て、今度はあのあたりの山を越えて1500kmも離れたサンチャゴを目指したのか」と、2001年に私がバイクで走ったスペインの巡礼の道に思いを馳せた。それにしても昔の信者や僧侶達はとんでもない所に礼拝堂を造ったものだ。それが過酷であればあるほど信仰の証であり、又異教徒からの攻撃を避ける目的もあったのだろう。


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