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2006年8月フランス3,500kmドライブの旅 店主:東 賢太郎(58歳)
その4

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<アルルのホテル>
  正味14日間しかない旅の為、アビニョンは半日観光のみで次の予定地、約30分程の「アルル」へ入った。一世紀頃建てられた円形闘牛場や古代劇場、そしてゴッホが暮らし、彼が絵にした有名な「跳ね橋」がある小さな町だ。古代劇場前のカフェでビールを飲みながら歩く観光客を一時間程眺めた。この町はリゾート地ではないから、服装も歩く表情にも華やかさがない。みな地図やバッグを片手に言葉少なに歩き、立ち止まり写真を撮ってまた歩く。カフェでも静かにお茶を飲み、「あっそうか」年輩の観光客が多いのだ。

 到着直後から観光ついでに、歩きながらホテルの値踏みもしていた。気に入ったのは各部屋が庭に離れのようにあるホテルだ。交渉して予算内(70ユーロ)でお願いできた。日本も同じだが地方では夕方7時以降は案外交渉できる。コンチネンタル形式の朝食付きで、他の安いホテルではパンとコーヒーとジュースくらいしかないのだが、ここはフルーツやハム、サラダ、卵も食べ放題で当たりだった。ヨーロッパではフランスやイギリスのホテル代が高い。しかし同じフランスでも地域によって格差が大きかった。今円安(1ユーロ:148円)も影響しているのだが。
 アルルの町中ではあちこちでゴッホに関係する催しが目立った。「ひまわり」に代表されるように夏のイメージなのだろうか。




 夏のプロバンスでは蝉の泣き声があちこちで聞こえた。後日訪問したコートダジュールでもそうだ。蝉は日本だけかと思っていたので、とても以外だった。南仏の郊外はひまわりやぶどうの畑ばかりだから、木々の茂げる町中だけのようだ。

<マルセイユ>
 翌日訪れたブロバンス(南仏)の港町「マルセイユ」はやはり物凄い観光客だ。地中海の玄関口として古代から繁栄し、今ではパリに次ぐ大都会であるが、昔の古い建物が多く、近代的な雰囲気はほとんど感じられない。そして古代からヨーロッパの海の玄関口であったことからか、正に人種のるつぼだ。港に近い標高154mの丘の上に立つ寺院「ノートルダム・ド・ラ・ガルド」は19世紀中頃に建造され、高さ46mの鐘楼の上には、黄金のマリア像が町や港を見下ろすように立っていた。



 私もその展望を楽しんだ後、沖に見えた「イフ城」に行く船を探しに港へ出た。チケット売り場で若い日本人男性と出会い、港の前のレストランでビールとインド料理を食べながら話をした。彼は2か月前スペインに入り、自転車でポルトガルも巡り、ピレネー山脈を越えてここへたどり着いた。そしてあと1か月かけてイタリアを周り、南部の町「バーリ」から船でギリシャに渡り帰国すると云う。彼は32才で、旅立ち直前に勤めていたIT会社を辞めての旅だ。

 彼の旅の面白いのは、旅の道具だ。自分の現在の位置を示すGPSを携帯し、インターネットで誰でもその位置をリアルタイムで見る事ができる。そして携帯したパソコンで毎日ブログ(日記)を発信している。つまり彼が毎日連載する「旅劇場」を日本中の人々が見ていることになる。




  自分の足で漕ぐ自転車は辛い。私は数年前に彼と同じコースをバイクで走ったが、バイクなら一時間で走る距離を、自転車は丸一日かかる。当然登り坂もあり、相当過酷な旅だ。しかし彼のブログを読んだ人々からのメールに励まされ「きつくても前に進むっきゃないです。ギリシャからの帰国便は決まってますから」と。「成田から渋谷のカフェまで自転車でウイニングランですよ。そしてそのカフェで凱旋パーティーの予定です。あずまさんも来て下さいよ」。「行くよ。途中で怪我すんなよ。帰ったら俺のラジオ番組で又話そうか」と、旅の話はつきなかった。2時間も話していたようだ「この飯代は俺がおごるよ、君の旅は長いからな」「ごつぁんです」。翌日インターネットをチェックすると、この出来事はそのまま彼のブログに書かれてあった。実はこの旅行記を書いている今夜8/27(日)、その彼が帰国し、成田から自転車で渋谷の「ドットバー(ミクシー関係者の為のプライベートバー)」に凱旋し、パーティーがあり、私も参加した。日本テレビ24時間に合わせて、ここでも独自にネット配信の24時間TV放送をやり、彼も出演した。



<軟派氏まがいの私>
 彼と別れてから船で沖合い3kmの「イフ城」へ渡った。マルセイユは古代から世界とつながる重要な貿易港だった為、その権益を狙って常に侵略される危機にさらされた。そこで16世紀に港の入り口にこの「イフ城」は要塞として造られた。その後、牢獄となったり、ペスト患者の隔離場所になったり、その島には暗い過去の歴史が染み付いている。現在はその役目を終え、海からマルセイユの港や、航行する船を眺める見晴し台となっている。



 その島で同じ船で渡ったミャンマーからの日本女性二人組と話をした。あちらに在住する公的機関の方のようで、出発から帰るまで詳細の旅程を提出し、何かあったらすぐに呼び戻される立場にあるようだ。「だから、もっとここにゆっくりしたい、と思っても予定を変更できないの」と嘆いていた。それでもお二人とても仲良く旅を満喫しているようがった。「今夜一緒に食事でもしましょうか」と言いそびれた。
 その夜、私は台湾からの女性と知り合いレストランを探して歩いていた時、オープンテラスで食事中の二人とばったり会った。「あ〜、まずい〜;」彼女達も気が付いたので手をあげて挨拶しその場を去った。「軟派氏と思われただろうな;」。そんなんじゃないのだけれど、笑って済ませるしかない(^ー^)/
 旅行中、東洋人と話をする機会は多い。お互い久々見かける同国人かと目が合うからだ。それが一人同士ならなおさらだ。



 翌日からいよいよコート・ダ・ジュール(紺碧海岸)に入る。サントロペ、カンヌ、ニース、エズまで行ければいいなと思いながら、場末の安宿で地図を広げコースをマークした。
つづく


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