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2006年8月フランス3,500kmドライブの旅 店主:東 賢太郎(58歳)
その6

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<グラース〜グルノーブルへ>
 香水の街グラースを出発し、次の訪問地アルプスに近いグルノーブルへ向かった。
 グラースからグルノーブルに抜ける約300kmは景色のすばらしいドライブコースだった。道すがら見える木々の少ない山肌、時折彼方に青い地中海も見え、グルノーブルはまだまだ遠いことが分かる。
 ビューポイントの丘に車を止めて写真を撮っていたら若いカップルが近くの岩に腰掛け抱擁しキスを繰り返した。「オールボァール」と声を掛けて車のエンジンをかけたら、こちらに手を上げ又キスに戻った。多分1〜2時間走る毎に水分を補給する感覚で、外に出てキスを交わしているのだろう。間違いない!勝手にやってろ!



<ナポレオン街道>
 たくさんの丘や山や村の景色を楽しみながら気分最高のドライブだった。途中の小さなカフェで、大型のハーレーダビットソンに乗るフランス男性と話をした。
「ボンジュール ムッシュ」、すると昼間だが「こんばんは!」と返事が返った。今まで仕事で何度も日本に行ったことのある食品会社の副社長で、伊勢丹等有名デパートとの取引で儲かっているらしい。
「君はいいコースを選んだね。このルートは、ナポレオン街道と云ってね、景色が最高なんだよ」と説明し始めた。それは、ナポレオンが捲土重来の思いで400人の兵士を伴い、カンヌからパリに向かう時に通った道だった。
 帰国してから調べると、ナポレオンは1815年に失脚し、一時地中海のエルバ島に幽閉された。しかし彼はそこを脱出し、カンヌに上陸し、この道を通ってパリに向かい、わずか「百日天下」といわれる皇帝の座を得たのだ。
 バイクと旅の話をしながら彼は3か所に電話をかけた。全て自分の家族で、みんなそれぞれのバカンスで違うリゾート地にいるらしい。私の家族のことを聞かれ、皆仕事中と答えると、首をすくめて「今度は奥さん連れてパリの私の家に遊びにきなさい」と笑った。1時間程話し、名刺交換して別れた。



<冬期オリンピックで知られるグルノーブル>
 グルノーブルは、1968年の冬期オリンピックの町だ。男子アルペン3種目で全て「金」を独占した男「キリー」は世界のヒーローとなり、その映画「白い恋人達」もヒットした。この頃の日本はまだ銅メダルにもはるか手の届かないころだ。
 イタリアからスイス、オーストリアへつながるアルプス山脈に面したこの町に、その晩は冷たい雨が降っていた。



 イゼール川が囲む小高い丘で威厳を放つバスティーユ城塞は、静かな街を見下ろすように静かにたたずんでいる。麓の川沿いのカフェやレストランのネオンや明かりが、小雨にむせぶようにかすかに見えた。
 橋を渡りレストランを覗いて歩いた。皆楽しそうに食事をしながらおしゃべりをしている。私はカウンターで白ワインを一杯飲み、5分程でホテルに戻った。
 そして疲れていたのかすぐにベットで寝てしまった。



<高級絹織物の街リヨン>
 翌朝、やはり雨は寂しい。特に一人旅では。天気が良ければバスティーユ城塞から遥か彼方にモンブランが見えると云う。私は市内見物もせずに次の訪問地「リヨン」へ向かった。まだ小雨模様だったので、高速道路を使い一時間程でリヨンへ着いた。
 パリからTGVでわずか2時間と近いフランス第3の都会だ。しかし日本の都会とは大違いで、ローヌ川とソーヌ川に挟まれた旧市街は、中世の面影漂う古い建物ばかりであった。
 ケーブルカーでノートルダム・ド・フルビエール寺院に登ると、その市街が全て見渡せた。リヨンには沢山の美術館や博物館がある。リヨン美術館、装飾博物館、織物博物館、印刷・銀行博物館等で、それは中世から数百年間、パリとマルセイユの通り道として、高級絹織物の産地として大変繁栄していたからだ。



<母と義父>
 私は旅行中3日毎に近所で一人住まいの母(87才)に電話をした。母は現在徒歩3分の老人ホームへ週4回デイサービスに通っている。その日の朝私か家内が「今日はホームへ行く日だから支度してね」と電話し、迎えに行く。幸い体は元気で身の回りの事は全て自分で出来、電話口からはいつも明るい声が返る。しかし「今からフランス旅行に行ってくるね」と旅立ち、旅先から3日おきに「元気?」と電話するのだが、「あら、賢ちゃん、フランスにいるの、気を付けてね」と毎回同じ返事が返った。
 2年程前から痴呆が始まったのだ。日常もそんな感じなのだが、私達はそれに気が付かぬふりで、毎日をゴキゲンに暮らしてもらえればそれが一番と思っている。



 家内の父(90才)も、3年前に10年間献身的に介護した妻をなくしたが、現在は大宮で元気に暮らし、毎日外を飛び回っている。今でも古文書を研究したり、ゲートボールの審判を頼まれたりで、頭は冴え渡り私達を気使う。
 今回の私の旅ではその父からある重要な事を依頼された。それは90才となり、自分の人生や自分のルーツをしっかり確認し、子供や孫に残したいと云う思いからだった。 
 義父(高力勇)によると、「実は私の父は明治31年に国費でフランスに留学し、3年間繊維の勉強をしたんだ。しかしその頃の事について私は詳しい話を聞いていないんだよ。その時の学校や情報を調べてきて欲しい」だった。
 当時横浜から船に乗り2か月かかってフランスのマルセーユに着き、汽車に乗り繊維業の盛んだった内陸都市リヨン市へ行った。まず言葉の勉強から始まり大変苦労しただろう。帰国後はその先進技術を日本に広め、昨年、繊維業の盛んだった福井市の商工会議所が「高力直寛展」を開いてくれた。
 そのきっかけは私がインターネットで本人の過去の情報を調べ義父に教え、義父はそれをもとに福井市へ電話すると、高力直寛を研究する人がいてわざわざ大宮まで訪ねてきたのだ。そしてその展示会が実現した。
 私はリヨン市で繊維博物館を訪ね、当時の学校の名前を見せて調べてもらった。しかし残念なことにその学校はリヨン市ではなく、そこから遠く離れたフランスの北部の町だと云う。リヨンでは数カ月語学を学び又旅立ったらしい。当時を考えると大変な思いをした留学だっただろう。
 何か喜んでもらえる情報を持ち帰りたかったが、残念だ。リヨンは中世の頃、中国から取り寄せた高価な絹糸を使い、高度な技術と複雑な機能を持った織物機で、貴族達が羨望の心で買い求める絹織物の生産で大きく繁栄した。その歴史や写真の載った詳しいガイドブックを義父へのお土産に買った。


つづく

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