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2006年8月フランス3,500kmドライブの旅 店主:東 賢太郎(58歳)
その8

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< ボーヌ 〜 ストラスブールへ >

 ワインの里「ボーヌ」は昔ブルゴーニュ公家が住み、半径1 .5km程の城壁に囲まれた、古い町の風情が残る落ち着いたいい街だった。私はブルゴーニュ地方の広大なワイン畑を幾つも横切りながらワインの中心地「ディジョン」を通過し、500kmも北東に離れた「ストラスブール」(アルザス地域圏の首府:27万人)を目指した。


 その町はドイツ国境近くにあり、幾度となくフランスとドイツの領有権争いの戦火に見回れ、大国の力の変遷の中で翻弄され続けた歴史がある。それによりここは 現在「ヨーロッパの歴史を象徴する都市」と呼ばれ、 E Uの重要な機関(欧州議会等)が幾つも置かれている。

 イル川に囲まれた旧市街には16〜17世紀の建築物がそのまま残され、「グラン・ディル」と呼ばれる中州は世界遺産となっている。中世の切妻屋根や木組みの建物はドイツの香りを感じさせられ、大切に保護されている。

 町の中心にあるノートル・ダム大聖堂は、1225年から丸200年かかったゴシック建築の傑作と云われ、町のシンボルとなっている。いや、中世からキリスト教カトリックの国としては、どの街にいっても大聖堂は絶対欠かせない存在なのだが。

 ヨーロッッパ各地の大聖堂は早くても100年、完成迄300年もめずらしくない。200年と云う年月は、例えば江戸城を江戸時代から建設を初めてまだ未完成と云うことで、日本の感覚では想像できないスケールは当たり前なのだ。

 大聖堂を遠くから眺めながら近ずくと、想像をはるかに越えた壮大な建物で、その下に立って見上げると、ゴシック建築の尖塔が天に突き刺すように伸びている。人間はなんと小さな存在なんだろうと圧倒された。



<大聖堂の光のショー>

 町を散策し、食事も終えて10時ころプチホテルにもどると、主人が「大聖堂のショーはこれからなのに」と云った。「何ですか、それ?」。

 イタリアからの若いグループに誘われて大聖堂前の広場に近ずくと、そこはもう人で埋め尽くされていた。5分も待つと、大聖堂正面の壁や窓をつかって大スペクタクルのレザー光線のショーが始まった。大音響の音楽に合わせて動くその光のショーは、海岸線の町で夏にある花火大会の代わりなのかもしれない。同行のイタリア人達が気勢を挙げて喜んだ。

 30分も見上げて首がいたくなったからではないが、私はひとりで抜け出し、裏手のイル川に沿って静かな夜の町並みを見ながら散策した。大通りから一歩横道に入るともうそこは中世の街並だ。小さなカフェのテラス席では赤や白のワインを飲みながら賑やかにおしゃべりが弾んでいる。私も一人冷たい白ワインを2杯飲んだ。旅の終盤で疲れもあったのか睡魔がどっと襲い、そこで知らぬ間に寝ていた。


<パトカーとの遭遇>

 翌日、町中をゆっくり車で眺めながら回っていた時だ、侵入禁止の一方通行に入ったことに気が付いた。「もう抜けるしかない」と出口付近に近付いた所でパトカーと鉢合わせした。知らぬふりでいると、ポリスが来て厳しい顔つきでフランス語を浴びせた。「まいった〜、罰金は高そうだ」。


 国際免許証とパスポートを見せ日本人と分かると、今度は笑顔に変わり、「どこへ行きたいんだ」と親しく聞いてくれた。その時パトカーの背後にルノーが止まり、けたたましく警笛を鳴らした。すると警官はそのルノーに激しい口調で「後ろへ下がれ」と追いやり、パトカーも下がって私の車を通過させてくれた。窓を開け「メルシー、オールボア」と叫ぶと、「サヨナ〜ラ」と返った。何て粋なんだ。私は運転しながら自然に鼻歌がでた。

 各地であったポリスは皆足が長く、制服がびしっときまり、威厳もあってカッコ良すぎた。それにしてもストラスブールの町は明るい南のプロバンスと違い「フランスの中のドイツ」と云う印象が強かった。

<ロココとアールヌーボーのナンシーへ>

 その日はもうパリに帰る予定で、途中ロレーヌ地方の「ナンシー」にだけ寄ることにした。ナンシーはパリに向かって西に200 km地点、そこからパリまではさらに400kmある。

 ナインシーはひとくちに云って「ロココとアール・ヌーヴォーの街」。中世の頃から華やかな文化が花開き、街のいたる建物は曲線とゴールドの豪華な装飾が施されている。

街の中心にある「スタニスラス広場:1755年に完成」の鉄の門はロココ調のやり過ぎていないか、と云いたい程の黄金の装飾に思わす立ち止まらせた。この広場は世界遺産に登録されている。


 広場の入り口で日本女性と出会った。「ここで日本女性と会えるとは」と話すと。「今、この街で、クラシックの声楽や演奏のサマーセミナーが行われているんです。日本からも10人位参加してます。私はもうこれからパリに戻って帰国しますけど」とのことで、広場のカフェでお茶を飲んだ。「私もこのまま車でパリに向かうんです。よろしかったらどうぞ」と誘った。「でも、夕方の汽車で、仲間5人と一緒なんです」。「残念」と心でつぶやいた。

 そういえば夏休みの時期は、ヨーロッパ各地でそのようなクラシックのサマーセミナーが開催され、日本の音大生達はそれぞれの分野に合ったセミナーに参加する為に各地にちらばっていた。世界中から集まったインターナショナルな環境の中で、若い人達が一緒に学ぶことは大いに有意義なことだ。
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