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2006年8月フランス3,500kmドライブの旅 店主:東 賢太郎(58歳)
その9(最終回)

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<レンタカーの総括>

 ナンシーからパリへはただひたすら走り続けた。レンタカーを夕方7時までに返さなければならないからだ。既に 3000kmを越えていた。いつものバイク旅行と違って、行く先々で駐車に困り、お馬鹿なカーナビに翻弄され、天井の低いパーキングでアンテナを折り、日本より高いガソリン等、ひとり気ままな旅の足としては決して楽ではなかった。


 ハーツ社があるパリの北駅について地下の入り口を探した。既に7:30だが見つからない。どうも変だと思っていたらすぐ隣の東駅だった。パリから全国に伸びる鉄道の始発駅は東西南北の行き先毎にパリの町外れにそれぞれ独立してあり、みな似た駅舎と駅前だった。他にリヨン駅、オーステルリッツ駅、モンパルナス駅、サン・ラザール駅がある。

 北駅の地下パーキングにやっとたどりついてオフィスに駆け込むと、「はい、ここにサインして」で終しまい。車のチェックも何もない。2分で完了。しかし帰国後、アンテナの修理費用等しっかり計算された請求書が届きカードで引き落とされた。「そこだけしっかりしてやがる!」

<パリの夜はシャンソニエ>

 パリの裏道の超安宿に泊まり、近くの中華で食事し、モンマルトルにあるシャンソニエの老舗「ラパン・アジル」へ行った。昔ピカソやユトリロが通ったらしいが、坂の途中に静かにたたずむ一軒屋のシャンソン酒場で、壁や調度品にその歴史の跡が感じられた。

年輩の男女 4人の専属歌手がピアノやアコーディオンで古いシャンソンを代る代る歌い、歌によっては客にも一緒に歌わせる歌声喫茶の雰囲気だ。


 40人位で満席になる小さなホールで、2組の団体が帰ると客は私とフランス人らしき老夫婦一組だけになった。リクエストを尋ねられ、シャンソンを歌う家内の影響で好きになった「ア・パリ」と告げると、老夫婦から拍手があり、その老紳士も歌手に合わせて大きな声で歌った。今は亡きイブモンタンのオハコ(十八番)だった。

 

<思い掛けないトレビアン>

 翌日、帰国を翌日に控えてお土産探し。パリをバスや地下鉄で走り回ったがコレと云う程のものはなかった。夕方地下鉄で出会った日本人女性と話をすると「これから一人でフランス料理を食べに行くの、ホテルに紹介されて予約も入れてるし」、そして私も同伴することになった。

 福岡で宝飾デザイナーをしている30後半の女性で、アントワープに年に1〜2回ダイヤを買い付けに行き、帰りは毎回パリで過ごすのだそうだ。泊まるホテルも超一級のセレブさん。私はネクタイのないカジュアルな服装で心配だったが、ルーブルに近いこじんまりしたレストランだった。

 「予想と違う感じだわ」と彼女は少し不満そうに云ったが、サービスも料理もクオリティがあり、店のスタッフとの会話も気さくで、フランスに来て初めて食べた本格フランス料理とワインを、最後の晩にこんな素敵な女性と楽しめるなんて幸運であった。


 お互いの旅の話やビジネスの話は相反するスタイルの違いで、逆に興味深く、長いディナーになった。帰り際に店のオーナーママが挨拶に来た。年令は60才を過ぎていそうだが、顔もスタイルも正にパリジェンヌと云う魅力をかもし出していた。

 ママさんに「地下にも部屋が沢山あるのよ、見ていきますか?」と誘われ、降りてみると、1階とは全く違ったシックな雰囲気で、広さは1階の 4倍程あった。帰国してからホームページで調べたらママさんもお店もパリでは知られた人気レストランだった。

「 Table   d' Hote   du Palais Royalto 」

「美味しくていい店だったわ、やはりホテルが予約してくれただけのことはあった」と彼女はご機嫌で、私も同感だった。

 日本での再会と上京の時、時間が合えば私のラジオ番組へのゲスト出演も約束しお別れした。

<パリの夜は裏通り>

 彼女と別れた後、私は一人でカルチェラタン付近の夜の繁華街へでた。そこは六本木の雰囲気。ジャズのライブハウスではピアノトリオがのりの良いスイングで皆を踊らせていた。昔からパリではジャズが人気で、アメリカの主要なジャズメンはほとんど来たはずだ。

 ホテルへの帰り道はゆっくり裏通りを1時間ほどかけて歩いた。ひとり歩きの危険もあったがパリの夜の裏側はどうしても見ておきたかった。シャンソン歌手のエディット・ピアフ(日本の美空ひばり)の波乱に飛んだ生涯を本で読むと誰でもそう思うだろう。


<携帯電話のトラブル>

 実はこの日、旅先で出会った人とパリで再会する約束をしていた。しかし携帯電話が全く通じない。向こうからの着信もメールもない。何度もダイヤルするが「現在電話使用不可能です」と表示される。「しまった、ローミングサービスの申し込み期間を間違えて契約したかも」とガッカリした。自分のミスでせっかくの再会を逃し後ろ髪を引かれる思いだった。しかし帰国して分かったことだが、この日に限りヨーロッパで回線の故障があり、全面的にこのサービスがストップして、すべての観光客が被害を受けていたらしい。

そしてつい最近パリ在住の人の情報では、日本と違ってあちらでは故障や回線の混雑で半日不通なんて普通とのことだそうだ。

<帰国危機一発>

 いよいよ帰国の朝、前夜2時までの夜遊びもあるが、2週間の旅の疲れもあり、又目覚ましをセットした携帯電話のバッテリー切れも重なり、目が覚めたのは朝9時、飛び出しても11:35離陸の飛行機の時間にぎりぎりだ。案の定、ひとつ手前の駅で降りてしまい、次の電車には時間が長い。バスを使い飛び込んだが、出国審査を終えた時間は離陸時間をすでに過ぎていた。「まいった」。だが、出発ターミナルに着くとフライトの1時間遅れを知らされた。「俺はいつも付いている」5年前のスペイン帰りの時も、ブッキングオーバーで乗れないと思ったら、なんとビジネスクラスに回された。



<還暦なんて>

 貧乏旅行とは云えそこそこ費用は使った。帰るとカードの支払いが襲ってくる。悲しいかな30年商売してきても貯金なんてゼロ、店が潰れなければ定年はないからいいのだが( ^-^)/

 又年末まで、無休で働かねばならない。あと2年で60才。旅は続けられるだろうか。これがなければ私の人生は寂しくなる。別に海外でなくてもいい。日本にはまだまだ走りたい場所が多い。出会う人々、そして村や町や自然から受ける旅の情けが私の一番の活力の源なのだから、地図は一生の友だ。

私のつたない素人旅行記を最後迄お読み下さりありがとうございました。
皆様からのご感想等頂けると幸せです。
樹音店主:東賢太郎 head@junet.co.jp

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