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2006年12月冬のイスタンブールひとり旅 店主:東 賢太郎(58歳)
その2

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 12月24日一人で成田を発ち、イスタンブール3日目の朝8時、ホテル8階の展望レストランで朝食。バイキング料理をたっぷり皿に盛り、窓際に運んで食べた。
 外はかすかに粉雪が舞い、ボスフォラス海峡には細長い貨物船がうっすら十数隻見えた。広すぎるそのレストランに客は数人。BGMもない静寂の中に食器の音だけが聞こえていた。



 190cmは越える体格のいい中年男性が、大盛りの皿を2つ持って隣のテーブルに座った。「おはよう!」と挨拶、「おはよう、日本人?」と低い声が返った。「そうです、あなたはどちらから?」「モスクワから」と答えたがアメリカ人だと云う。食べながら時たま言葉を交わした。
 詳しくは語らないが、年輩のロシア人女性のボディーガードのようだ。長年仕事でヨーロッパ、中東を回ったが、この仕事を最後にアメリカへ帰ると云う。もの静かだが、するどい目をして下を向いたまま話す。
「今日はどちらへ?」彼は一瞬答えようとしたが、黙ったまま窓の向こうの海峡に目をやった。「ウスキュダラ?」と重ねて尋ねると、横目で私に視線を送りながら「多分」。その時彼の首筋の大きな傷に気がついた。私は何だか食事がのどを通らなくなった。
 先に席を立ち、挨拶して去ろうとすると、彼が「いい旅を」と云いながらテーブルに忘れた私のメガネを指さした。見ていたんだ。振り返るとスタッフ達が我々を注視していた事に気がついた。彼の特異な存在感はイスタンブールであっても何か違和感を感じた。



<アヤソフィア>
 前日休館日で入れなかった「アヤソフィア」(神の知恵の意味)を見学した。入場料約1000円。 
 360年、コンスタンチヌス2世によってキりスト教会として建造されたが、度重なる争乱や侵略の歴史の中で破壊と再建が繰り替えされ、1453年にこの街がオスマントルコに征服されてからイスラム教のモスクとなった。
 ドームの高さが56mもある現在のアヤフィアの壮大さと美しさは、6世紀半ば頃、二人の優秀な数学者と幾何学者の高度な数式の設計により建造された。そして今日の建築学上の最高傑作と云われている。

 世界で現存する最も有名なモザイク画と云われる、キリスト、聖母マリア、予言者ヨハネが描かれた「ディーシス:請願」は2階の回廊にある。偶像崇拝を禁じたイスラムの教えで破壊されたり、漆喰で塗り隠された時期が長かった。しかしトルコ共和国建国となった1934年に復元され一般公開されている。窓から差し込む自然光で金色に輝くモザイクだが、剥げ落ちて復元のできない部分も多く、歴史や宗教の力の恐ろしさを感じさせられた。



<デジカメ>
 外へると、チラついていた雪はやみ、空は快晴だった。
中年カップルにカメラのシャッターを頼まれた。引き受けたが「あれ、映像画面はどこだ」すっかりデジカメの先入観があった。「ここを覗いて、ここを押しなさい」と教えられ、焦った。
 私の店では長年D.P.E.の取り次ぎもしているが、近年アナログの紙焼きプリントは激減し、売上は何とこの10年で10分の1にまで落ちた。約3000の取次店を有していたある大手現像所の中で、当店が長年売上1位を続けた実績はもう記憶の果てとなった。そして現像各社も軒並み廃業か合併を繰り返し、時代変化の激しさに困惑している。
 日本は裕福なのだろうか、メディアやCMに煽られて虚栄に走る、物を大切にしない消費美徳の国民性なのだろうか。私も含めて考えるべきかも。





<タクシーとの攻防>
 街の展望に良いガラタ塔へ行く為にタクシー乗り場へ向かった。旧市街のヨーロッパ側から新市街のアジア側に行くには、ガラタ橋で金角湾を渡らなければならない。
 歩いていたら黄色のタクシーが私の横へすり寄り声をかけた。「コンニチハ!」私はわざと「アンニョンハセオ!」と返した。すると「韓国人?私は韓国大好き!」と云う。そして流暢な英語で「次はどこへ?いいとこ案内するから乗りなよ」と。



 助手席に乗り込み、5分程でガラタ橋に差し掛かる頃、今日はこのタクシーに任せようと決めた。「ガイドブックに載っていない面白い所を案内できるよ」、「OK、じゃガラタ塔は後にして案内してよ」。半日走ってもメーターが1万円を越えることはないと知っていた。
 彼は市内を巡りながらしゃべり通しで解説し、トルコ語を教え、要所で停車し写真を撮らせ、途中でチャイも運んでくれた。この運ちゃんなかなかいける。
 大通りの裏側の古いアパートのが立ち並ぶ裏道に入り「あそこに俺の友達家族が住んでいる。家賃は年間たった2000円だぜ」。数年前迄トルコは毎年200%を越える超インフレ国家で、最近鎮静化したとは云え高騰気味のイスタンブールの家賃事情に反した話だ。貧困家庭の集まるこの地域には政府の政策がからんでいるのだろうか。
「ちょっと家を覗いてみるかい」「いやその必要はない」。



<ピエール・ロティのカフェ>  
 細い坂道を10分程登り、見晴しの良い丘にある小さなカフェに案内された。100年程前、トルコをこよなく愛したフランス人作家「ピエール・ロティ」が通ったと云う同名のカフェだ。なるほど凄い、金角湾と市街が一望できる。
 店の主人が、「韓国からだそうで?」と聞くので「いや日本からです」と答えると、タクジーのおやじが「何だそうかい、ジョークが上手いな」と、私の顔を見て笑った。



 その後も絨毯、べリーダンス、夜の女、そして明日は古都ブルサ(200km)へ行こう、といろいろ誘う。全てきっぱり断るとその度に「いいんだ、ただお知らせのつもりで云ったのだから」と他の話題に変えた。しかしころ合いを見て又新たな提案をする。涙ぐましい商売熱心さだ。
 彼とは最後までそんな駆け引きを楽しんだ。4時間程ドライブしたが、はりきる彼との英会話に少し疲れて来た。 
 私は当初の目的地「ガラタ塔」に着いた所で「後は自分で回るからここでさよならしよう」と50リラ(5000円)差し出した。すると「まだ行くとこあるのに〜、夜の楽しみは特別だし、私がいれば安全で・・」とか食い下がる。
教わったトルコ語のありがとうを連発して去ろうとしたら、「金が足りない、200リラちょうだいよ」私達は笑いながらその価値を主張しあい、結局私の結論で75リラ払った。最後は彼も笑顔で私を見送った。楽しく効率良く裏町まで見学でき、価値あるドライブだった。彼にとってもいいビジネスになったはず。



<ガラタ塔のある新市街>
 高さ67mの石の円塔「ガラタ塔」は、1338年に当時交易の拠点として移民していたイタリアのジェノバ人によって、城塞の見張り台として建てられた。現在塔内には古いレストランがあるだけだが、360度の眺めがすばらしい。
その塔の周辺は上野の合羽橋のようで、いろいろな商売道具や電気器具の店が、急な狭い坂道の両側に並ぶ。豪華ホテルやファッションの店が集まるタクシム広場やイスティクラル通りも近い。
 イスタンブールは私が宿泊した歴史遺産の多い旧市街と、商業に絡んだこの新市街、さらに4kmほど離れた地域に高層ビルやマンションの新ビジネス街がある。



<ドルマバフチェ宮殿>
 ガラタ塔から坂を下り、ボスフォラス海峡沿いに大通りを「ドルマバフチェ宮殿」を目指しタクシーで移動した。1859年当時のスルタン「アブデゥル・メジト1世」が、手狭になったトプカプ宮殿から、新しい住居と政治の場として建造した。当時はまだ安定した帝国で、西洋風トルコルネサンス様式で贅をつくし、白亜の宮殿として広い敷地の奥にハレムも造った。
 正門の直立不動の衛兵の真後ろに回った。右手に銃、後ろに回した左手にはしっかり短剣が握られている。カメラでアップしていたら、横から子供が手を出してその短剣に触ろうとした。「やめろ」あわてて子供の手を払いのけた。衛兵がピックッと動いた。もし触っていたらどんな状況になったか、などとドキドキしながら中に入った。



 私はその子供が加わる10人程のグループに紛れ込み、英語のガイドを聞きながら進んだ。途中の広間で集合写真。無関係の私も並んで記念撮影。ガイドの視線が気になった。
 トルコ共和国建国後、首都はアンカラに移され、現在は必見の文化遺産となっているが、共和国初代大統領のアタチュルクも最後はこの宮殿で眠りについたと云う。
 
<トルコの大衆浴場、ハマム>
 夕方になって小雨が降り出した。冷えた身体と疲れを癒す為、トルコ式浴場ハマムへ行った。ガイドブックを見ると、ホテルに近い旧市街チェンベルリタシュ駅の側にある。
 入り口で3000円程払い、1.5帖程の個室で服を脱ぎ、渡されたチェックの赤い布を腰に巻いて浴室に入る。
 日本のような浴槽はなく、大理石造りの広いドームの中央に腰の高さ程の円形石盤があり、皆そこに手足を伸ばして横になる。同時に10人は寝れる大きな石盤は40数度と熱く、いわゆる岩盤浴だ。



 室内には蒸気が充満し、10分程で全身から汗が吹き出した。その後、係りの男がアカスリ用の手袋で私の全身を荒っぽくこすり始めた。
 「おいおい、もう少し優しく」と云う暇もなく、今度は告知もなくいきなり頭からお湯をザブーッ!そしてシャンプーをぶっかけ、髪も顔も力一杯ゴシゴシと洗いまくる。最後に又お湯をザブーッと2〜3杯。「いっちょ上がり〜」とは云わないが、背中をポンと叩かれ終了。
 ドームの浴室から出て、しばらく吹き抜けのサロンでドリンクを飲みながら過ごし、客同士の交流の場でもある。
 このハマムは16世紀に造られたと云うから500年以上の伝統的な文化だ。さ程数は多くないようだが、捨てきれない大衆文化としてトルコ全土にしっかり残っている。



<便利な時代だ>
 早めにホテルに戻り、パソコンを開きメールチェック。7時間の時差がある日本はもう深夜だ。回線速度の遅いホテルの無線LANにいらいらしながら2〜3時間パソコンをたたいた。海外でもパソコンを持参すればインターネットで仕事ができる時代になった。携帯電話も番号はそのままで国内と全く同じ条件で会話もメールも使える。



 リリリ〜と時々携帯が鳴る。この日もタクシーで移動中友人から電話「今夜時間ある〜」。さてどうしよう。「あるけど、今イスタンブールなんだ」。「エ〜どこ?横浜?トルコ料理屋?」。「ウ〜ッ、て云うか」。「誰か一緒なの?話にくいの?」「そう云う訳じゃないけど」、「分かった、じゃあ又」「あっ、モシモシ」。
 
<昔見た007の世界>
 寝るにはまだ早いので、ホテル内を散策した。ジムや小さなショップには客はいない。パソコンやFAXの揃ったビジネスルームを窓ごしに覗くと、朝食で一緒になった男が老婦人と向かい合っていた。彼は私に気付いたが無視して話を続けた。朝と違いダークなスーツできめていた。
それは別にどうと云う事ではないが、この街の出来事は何かあの「007」をイメージして連想してしまう。

<気まぐれで予定変更>
 私はずっとこの街にいる予定だったが、エキゾチックでパワフルなこの街にわずか3日で飲み込まれてしまった。旅慣れたはずの私だが少し静かな処へ逃げ出したくなった。 
 地図を広げガイドブックを調べた。トロイの遺跡、エーゲ海に近いエフェス都市遺跡、自然の奇景カッパドキア。遠い、観光客も多うそう。黒海の海辺はどうだろうか。小さな漁村でもあれば2〜3日クールダウンして、30日にイスタンブールに戻れればいい。
 トルコの大半を占めるアジア側の北にある黒海の畔に小さな漁村「アマスラ」があった。イスタンブールから道のりで約400km。途中の田舎町も良さそうだ。
 トルコは汽車より国中に張り巡らされたバスが便利と書いてある。沢山のバス会社が競合しあってサービスも良い。 
 そして「車はやめなさい、運転は世界で一番荒っぽい国」とも書いてある。しかし気まぐれな私の旅を考え、自由な旅ができるレンタカーにしよう。念の為に国際免許証は持参していたし。但し予定になく、何の下調べもなかった車の運転が、いろいろなトラブルを引き起こしてくれるとは思ってもいなかった。


つづく

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