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2006年12月冬のイスタンブールひとり旅 店主:東 賢太郎(58歳)
その4(最終回)

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<トラブルでもないが>
 トルコ滞在7日目の朝、私は歴史の街サフランボルからイスタンブールに向け車を走らせた。街を抜けるとすぐに雪に覆われた緩やかな丘陵地帯が続く。トルコの国土は日本の2倍、人口は日本の約7割。ゆったりしているはずだ。空は快晴。白と青の景色の中に乾いたアスファルト道路が前方の丘を越えて遥か彼方へ続いている。このあたりは春に雪が解け、夏には草が生え、秋には一面小麦畑だろう。



 走行中、車の異変に気がついた。時々ギアが外れたように減速する。「あ〜やばい、ガス欠だ」前日気が付いていたのに忘れてた。車の通行が少ない田舎道のど真ん中。
幸い丘を登りきって長い下り坂に来ていた。さらに遥か向こうにガソリンスタンドらしきものが見える。あれは蜃気楼ではない「よかった〜」。ブレーキの為にエンジンは切らず、ギアーを外して坂を下った。降りきる頃にエンジンは切れたが、惰性で300m位走り、スタンドの100m手前で止った。
若いスタンドマンがこちらを見てる。私は車から降り、手を振り、車を押すしぐさをした。彼は笑いながら走ってきた。「メルハバ」お互いその挨拶だけで状況は分かる。
 押すのはしんどいと、彼はポリタンクで5リッター運んだ。数回セルを回し、エンジンをかけスタンドに到着。「チャイ飲んで行かないかい?」の言葉に甘えた。「ここから先20km以上スタンドないよ。イスタンブールには6年前に行ったきりさ。」と私のデジカメ写真を見てうらやましそうだった。
毎回トラブルはあるが何とかなるもんだ。なんて悠長なことを云えるのはひとり旅だからだろう。
 夜の7時までにイスタンブールのレンタカーオフィスに返却する為に急がねばならない。



<ヤバイ状況に>
 高速道をカッ飛ばし、イスタンブールのアジアサイドに着いたのはもう薄暗い6時。海を越えて向こうのヨーロッパサイドに渡らねばならない。なぜかカーナビは橋ではなくフェリー乗り場に案内した。
その周辺は正月の3日前とあって、人と車で大混雑だった。どこで切符を買って、どこに並ぶのかも全く分からない。知らぬ間に他の車に取り囲まれて身動きもできない。このままだと、後ろから押されるままに行き先の分からないフェリーに乗り、明日の朝はイタリアかもしれない。
 必死で脱出を試みたが難しい。車の横を歩く小柄な男性に声を掛けた「外に抜け出したいのだけど」すると「俺が案内するよ」と助手席に乗りこんできた。「トルコは皆親切だ、感激〜」。彼のどなり声で他の車をかき分け10分程で車の洪水を抜け出した。そして「あっち!」と云われるままに暗い路地入った。「ちょっと止めて。あそこを見てごらん」と云う彼の言葉に従い、暗闇の奥を凝視した。次の瞬間、彼は後部座席にあった私のショルダーバックを掴み外へ飛び出した。「コラ〜待て〜!」と私も叫びながら外に飛び出し後を追った。すぐに追いつき、後ろから背中を突き飛ばした。倒れ込んだ彼の横腹を蹴飛ばし、バックをもぎ取ろうとしばらくもみ合った。彼はすぐにあきらめ暗闇に逃げ去った。「良かった〜大事なものがいろいろ入っていたから」私も早くこの場を立ち去らねば。震える足で車に戻り、急いでエンジンをかけた。マニアルのギアを入れスタートさせるが何度もエンスト。焦った。
しまった、サイドブレーキが入ったままだった。無意識にエンジンを切り、サイドブレーキまでかけていた自分に驚いた。
 私は海外旅行で何度も同じような経験をした。強盗に襲われ易い、ホモにも好かれ易い。狙われ易いと云うより、危険な場所と知りながらもついつい好奇心で入ってしまうのだからしかたがない。いつか本当に痛い目に合うだろう。



 とにかく早く橋を渡らねば。海岸沿いに走れば橋のたもとにたどり着く。対岸のヨーロッパサイドの美しい夜景を眺めながら走ると「ウスキュダル」に着いた。昔から日本でも馴染みの街で、賑やかな夜の街路には人や車がひしめいていた。欧州とアジアの色が混ざり合った独特の雰囲気で、行き交う人種もさまざまだ。
ここから見るヨーロッパサイドのライトアップされた丘の上のモスクや、海岸線の街の夜景はすばらしい。



 何とか橋を渡り、海岸沿いの小さなホテルへチェックインしたのはもう10時過ぎだった。疲れてもう外に出る気はない。ロビーで地図を広げていると、仕事を終えて帰る女性従業員が話し掛けてきた。「いつトルコに来たのですか?」と日本語だった。以前地元にある日本企業で2年間働いていたと云う。ほとんど単身赴任の日本人男性ばかりで、お付き合いも多かったと云う。「楽しかった?」と聞くと「楽しかったけど、支店長が変わってすぐにクビになった」と悔しそうに云った。日本の歌やテレビのビデオで日本語を覚えたらしい。又日本企業に勤めたいので紹介して欲しいと云うが、旅人にそんなコネはない。彼女は久々日本語が話せて楽しかったらしくゴキゲンで帰っていった。



 翌朝、私はレンタカーを返し、荷物を預け、空港へ向かう迄の数時間、新市街のタクシム広場周辺を散策した。専門店が並び赤いトラムの走るイスタクラル通りや、たくさんの露店も並ぶオルタキョイ通りは、華やかさはないが楽しい通りだ。



 イスタンブールはインターネット環境が良く、無線LANの使えるホテルやカフェがある。広場に面したホテルのレストランに入りパソコンを開いた。やはり使える。店員から接続のパスワードを聞き出しメールチェック。
しばらくして入って来た日本人女性が私と同じ壁際の席に座った。そして何と私と同じノートパソコン「VAIO」を開いた。思わず顔を見合わせて笑った。



「ここで無線LAN使えるの知ってたの?」と聞くと「私このホテルに泊まってるんですよ」「ああそうか、セレブだね、かなり高いでしょここ」「小さいホテルは恐いですから」「ひとり旅なんですか?」「ええ、でも昨日まで友達と一緒にトルコ周遊してました。」「そうか、じゃあしばらくイスタに滞在か」「いえ明日アテネに入って、それからナポリでお正月を過ごして帰ります」「なんだ、僕と全く同じコースだ」「エ〜ッほんとーですか?」「冗談、僕はこれから空港へ向かって帰るんですよ」彼女は札幌在住の主婦とのこと。「優雅な主婦ですね〜」「去年迄仕事してたし、お金貯めてましたから。しばらく失業保険ももらえるし」。と笑いながらサラッとおっしゃる。なるほど、自分の人生の楽しみ方を知ってる。



 年末の短く慌ただしいトルコ旅行は、今迄の海外旅行と何か違っていた。タクシーで空港に着く迄の30分の間、私は窓の外を眺めながら、「その違いは何だったんだろう」と考えた。そうか、私は塩野七生の本「コンスタンティノープルの陥落」でインプットされたオスマントルコの残像を抱きながら街を、村を、人を見ていたのかも知れない。イスタンブールは世界の中心に位置したあの時代の栄華とプライドを、今でも密かに持ち続けている街なのだ。

 トルコは数年前迄年率200%を越えるようなインフレが続き、大国の金利上下に翻弄され、ユーロ加盟問題の行方も見えていない。そんな中でもイスタンブールの人口はまだまだハイペースで増え続け、既に東京都の人口をはるかに越えた。イスタンブールは益々面白い街でい続けるだろうと思った。

<完>

素人のつたない旅行記を最後迄読んで下さり有り難うございました。ご感想等頂けると嬉しいです。
東 賢太郎:head@junet.co.jp

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