#01

2002年夏 イタリア一周バイク一人旅
はっぴーとーく樹音 店主:東賢太郎(54才)

 

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 バイクでミラノを出発して9日目の7月27日未明、私はシチリア島のパレルモからナポリに向かうフェリーの船上にいた。旅費節約の為にベット無しの乗船券を持つ私の一夜の寝床は、船内の営業を終えた後のBar(バール)のソファーだ。
 200台近くの車を飲み込だ大型フェリーは昨夜10時に出航し、地中海につながるティレニア海を横切り、約300km離れたナポリに朝7時頃入港する。

 


パレルモ(シチリア)からナポリへ行くフェリー

 

< 母に似た老婆との出会い >

 外はまだ暗い午前4時。船内のBarでの夜明かし組は20人程で、私の側にはリュックを枕にした若いカップルと二人の子供を連れたアラブ系家族。そしてヘルメットを抱えてBarに入った私を手招きして側に座らせた一人の老婆であった。 フランス人のカップルは我々の目を気にせずたっぷりじゃれあった後、腕を絡ませて熟睡している。家族連れは二人の子供を夫婦がそれぞれ膝枕させ寄り添うように寝ている。そして明らかに南部の人らしく色黒で顔中深いシワに包まれた小柄な老婆は、私としばらく話をした後背を向けて何も見えない海に目をやっている。彼女の服装は少し古びたプリントのブラウスと、チェックの長いギャザースカート。 そして荷物は大きな布袋一つだけであった。

 「ドヴェ」、出会った初めに老婆が私に初めて掛けた言葉の中で唯一理解できた言葉「どこ」に対して私は覚えてきたひと通 りの自己紹介をイタリア語でした。
「僕は日本人で、ミラノでバイクを借りてイタリア一周の旅をしているんだ。仕事は化粧品屋でね、イタリアにも資生堂ってあるでしょう」なんて話す。すると皆、 こいつはイタリア語が話せると思い、いっきに言葉を浴びせてくる。それ以外の言葉は分かる訳がないのだが、分からないながらも地図を見せたり身ぶり手ぶりでやりとりしていると、会話は楽しく少しずつ理解できてくる。
 彼女はシチリア島の南端マルサーラ近くの村に住んでいる。二人の息子は成人すると南部の港町バーリと中部のローマに渡った。シチリアは貧しく若い人々は皆本土へ出ていくそうだ。昨年ご主人を亡くし一人ぽっちでさみしいと云った。そして今からローマの息子さんに会いにいくようだ。

 しばらく話しをした後、私はひとりで船内を散策して回った。レストランやお土産ショップ、そしてゲームルーム等はもうみな閉まって、人影のない真っ暗なデッキに出ると船が大きく揺れているのが分かった。バールに戻ると老婆はまだ起きていた。その後も老婆は窓の外をじっと見つめたまま寝る気配がない。時折髪をまとめたスカーフでそっと涙をぬ ぐう彼女のしぐさが気になった。

 私が15歳の夏、母が私を叱りながら軽く私の頭をたたいた。その時反抗期の私は「何するんだ」と母の頭をたたき返した。母は驚きと悲しみで私に背を向けて嗚咽した。母に手を上げたのはそれが初めてだった。辛かった。すっかり忘れていたそのことを老婆の後姿を見て思い出した。
 私は彼女の肩に手をやった。彼女は振り向かずその手をグッと握り返し自分の頬に押し付けた。私は手の甲に付いた彼女の涙の意味がよく解らず胸が痛かった。それ以上話しかけることもできず、寝つけなくなった私は、傍らでノートを開き、そこまでの旅の記録を綴り始めた。




南部の街

<ルネッサンスの香り漂うイタリアの街>

 2002年夏、イタリアをバイクで旅しようと成田を発ったのは私の54回目の誕生日、7月17日だった。昼過ぎに離陸したアリタリア航空は約12時間のフライトの後、同日夕方、ミラノのマルペンサ空港に着陸した。
 イタリアは北部をフランス、スイス、オーストリアに隣接し南は地中海に長靴を横に浮かべるようにはみだした南北1300kmの細長い国だ。その長靴の指先にくっつくようにシチリア島、そしてその上にサルデーニャ島がある。日本と比べると広さは4分の3程度で人口は約半分。日本に似て山や川や火山が多く、春夏秋冬の四季もある。ただし梅雨はなく、夏は暑いが比較的湿度が低く乾燥している。北部の緑の多い山間部や湖水地方をバイクで走ると、夏の東北や北海道を走っている錯覚を起こした。
 イタリアの歴史は紀元前753年のローマ建国に始まり、1946年の国民投票によってイタリア共和国となるまで、数々の紛争や戦争によって分断や対立をくり返し、幾度もの侵略の屈辱も味わった。しかし13世紀頃からヨーロッパ全土に普及したルネッサンスの興隆によって、イタリアも美術や建築、文学や音楽、そして宗教など幅広い分野に於いて沢山のすばらしい遺産を今に残している。今回の私の旅はそんな遺産に囲まれた村や街をバイクで回りその空気や景観に触れてくることだった。

 


ミラノで借りた BMW F650 CS Scarver model

<列車で会ったブロンドの美しい中年女性>

 マルペンサ空港からミラノの中心カドルナ北駅へは特急列車で40分。イタリアに付いて早々、私はすいている車内の隣のボックスに一人で座っている中年女性の
美しさに心惹かれた。髪はブロンドのショートで、大きめの丸いイヤリングは真夏の太陽にも負けない明るさと気品を感じさせた。肌は全身すっかり小麦色に日焼けし、木綿の大きな花柄のスカートの長めのスリットから見えるレッグラインと、淡いブルーのミュールからかかとを少し浮かせたカモシカのように細く引きしまった足首がたまらなくセクシーだった。小麦肌は夏に長期でバカンスを取ることができる上流階級の証しらしい。しかし化粧品屋の粗忽な目で見ると、目尻や口元にたくさんの小じわがあり、小麦肌に隠れて顔や腕、脚に大きなシミも数多く見られた。多分若い頃から存分に紫外線を浴びてきた代償だろう。しかしそれがいったいどうだと云うんだ。と云う程、まるで車窓をバックにした映画のワンカットのようにその人の姿は輝いていた。

 チラチラと目をやる私の視線を婦人は優しく受け止め笑顔を返してくれた。
「俺はいい国に来たな」一気に幸せモードに入った私は「イオ ソノ ジャポネーゼ」日本人ですと話した。すると婦人は私のヘルメットの日の丸を指差し「ナカタサン」と笑って答えた。私は思わず「中田は偉い!」と心でつぶやいた。歓迎してくれてるんだ日本人を。私は彼女の向いに席を移し片言の英語でおしゃべりを楽しんだ。
 ミラノで証券会社に勤めると云う彼女の美しさは、その顔立ちやスタイルよりも モデルのように真直ぐ胸をはり、自然で気品と優しさのある表情やしぐさだと感じた。ほのかに漂う彼女の香りも私の心を揺さぶる。
 女性の美しさは「優しさだ」。「美」はその一瞬をカメラで捕らえることができるが「美しさ」さは心で感じるものだ。わずか30分の時間は短く、カドルナ北駅に着いて別 れ際に彼女を食事に誘った。「ありがとう、とってもうれしいわ、でも仕事があるから」と当然の事だが品良く断られた。私も礼儀のつもりで声を掛けたので「グラッツェ アリベデルチ」と云って別 れた。ところが彼女とは全く驚く程の偶然で翌日も会ってしまった。
 ミラノ市内の携帯電話屋(T i m )で電話を買う手続きが難しく手間取っていた時、たまたま立ち寄った彼女が気が付いて声をかけてくれたのだ。お陰でスムースに終了し旅の間日本にも直通で話せる電話を携帯できた。「よ〜し、この旅はついている」そう思った私の思惑は、翌日のバイク走行で早くも外れることになった。

 

<言葉に壁が愚かな間違いを>

 フェリーは時速50km。静かで揺れもなくただディーゼルのかすかな振動だけが体に伝わった。私がノートにメモしていると老婆が振り返って覗き込んだ。私は彼女を元気付けようと「オーソレミオ」を小さな声で歌い、バイクを運転しながら
歌う私の絵をかいた。とても受けた。そして次に「ナポリを見て死ね」と云いながらバイクで海に飛び込む絵を書いた。うなずいていた。すると近くで寝ていた家族連れの母親が子供の額の汗を拭きながら私に英語で話し掛けた。「彼女の息子は病気で死んだらしいよ。ローマへは葬式で行くんだろう」と教えてくれた。そして老婆と少し言葉を交わすと、又私に「その息子もバイクが好きだったらしいね」と教えた。老婆は寂しげにうなずいてみせた。何ださっき彼女がいろいろ私に話をしてくれたのはそう云うことだったのか。分かった振りしてただニコニコ聞いてしまって、俺は全く情けないアホだった。
 浮かれていた自分の気持ちの仕舞い所がなく、私はひとりでデッキにでた。時間は午前5時を回りすでに夜が明け始めていた。前方にはソレントの岬やポンペイに被害を与えたヴェスヴィオ火山の稜線がくっきり見え、街の灯りもところどころでチカチカと光っていた。少し冷たい風を浴びてすっきりした私が又船内のBarに戻ると、老婆はソファーの隅に体を埋めて眠っていた。私は「ごめんね」と小さく声を掛けた。そして再びテーブルのノートを開き、バイク走行初日のトラブルのことを思いかえした。

<ゴキゲンバイクBMW F650 でコモ湖へ>

 7月19日朝、ミラノの街外れにあるレンタルバイクショップ「ビアンコブル」で手続きを終え、私は新車のBMW F650 CS Scarver model を手に入れた。シルバーと薄いブルーのスマートなツーリングバイクは私の体にぴったりフィットして「ヤッタネ〜!かっこい〜!」と思わず自画自賛の雄叫びを挙げた。形式も排気量 m 650ccで昨年スペインで使ったバイクと同じスケールだから運転も楽だ。
 初めの目的地はスイス国境に近く、イタリアの湖水地方で最も美しいと云われているコモ湖だ。緑の野山と南欧の花々に囲まれて古代ローマ時代から愛されてきたコモ湖にはヨーロッパの貴族や芸術家達のヴィラや館がたくさんある。私的に見ると山中湖を30倍位にして周辺の建物をもう少しエレガントにした感じだった。
湖畔のカフェで1時間、パスタを食べながらヴァカンス族を気取ってみたが、それが限度。落ち着かない腰を上げて次の訪問地ヴェローナへ向かった。  


<初日から考えられないトラブルが>

 再び走り出して10分後、とんでもないトラブルが起こった。後ろの荷台にロック付きで設置したハードケースが時速120km走行中突然落下したのだ。後続の車がけたたましいクラクションを鳴らして急ブレーキをかけた。落下したケースは勢い余って数10mバイクと併走し道路のど真ん中で止まった。鋳物で出来た荷台のジョイント部分が折れていた。後ろの車から飛び出して来た中年男性が「何やってんだバカヤロウ」と云う感じでどなりながら降りてきた。しかしすぐにそれは同情にかわり、次のガソリンスタンドまで荷物を運んでくれた。しかたなく私はそのハードケースを荷台にロープで括り付けミラノのバイクショップへ引き返した。
 修理の部品は3日後になると云うショップの説明に私は途方にくれた。しかしそうして悩む時間すら惜しかった私はしかたなく持参のスポーツバッグに荷物を詰め替え再び旅に出た。これがまだ初日でよかった。それに厄払いにもなっただろうと自分に云い聞かせ「はーるばる来たぜイタリーへ、逆巻くトラブル乗り越えて」と昨年のスペイン旅行と同じく北島三郎の「函館の女」を運転しながら大きな声で歌って気勢を上げ直した。


<餞別のおまじない>

 すっかり夜が明けた朝7時、定刻通りフェリーはナポリのサンタルチア港に着いた。「アリベデルチ」老婆に別れを告げてBarを出ようとすると、彼女は私の頬に手をやり何か祈るような言葉を云った。柔らかく暖かい手だった。そして私の左手に幾らかのお札を握らせた。驚いて返そうとしたが、老婆はお札を握った私の手を開かせようとしなかった。私はただ「グラッツエ」と云ってBarを出た。開いた手の中には20ユーロがあった。バイクに乗りフェリーを降りた後老婆の姿を必死で探したが見つけられなかった。心につかえを残したまま私は再びバイクのアクセルを蒸かせた。

 小さい頃より旅が好きだった私に、母が必ずしてくれることがあった。餞別 をくれることである。学生の頃迄と違い大人になってからは「もういいよ」と辞退をするのだが、「餞別 は元気で帰っておいで、と云うおまじないなのよ」と云うのである。あの老婆からの餞別 にも同じ気持ちを感じた。そのおまじないに守られた旅はいくつもの波瀾もあったが感動に満ちて楽しく想い出深いものになった。

つづく



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