#03 2002年夏 イタリア一周バイク一人旅
ボローニャ〜サンマリーノ

 

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宿探しの為にヴェネツィアを出たのはもう午前2時過ぎであった。
そんな時間でも周辺の町はまだしっかり起きていた。花火の後だからだろう。
「ボナセーラ:こんばんは!」この言葉から始まり「クアント:いくら」「スィー:はい」「ノ:いいえ」だけ話せれば宿は見つかる。
4軒目のホテルでただ一室空いていた豪華な部屋を真夜中と云うことで40ユーロ(4800円)にまけてもらった。私は時差で7時間早い朝の日本へ電話した後、ゆっくり風呂につかりながらここ数日使用したイタリア語の復習をした。

< 意外と使われていたイタリア語  >

「ボンジョルノ:こんにちは」「グラッツエ:ありがとう」「ポコ:少し」「グランデ:大きい」「ジャポネーゼ:日本人」これらは日本で勉強する前から何となく知っていた言葉だ。そして意味は知らなかったがよく耳にしていた言葉「ドルチェ:甘い」「バンビーナ:子供」「パルコ:公園」「ベルディー:緑の」はそんな意味だった。さらに日本の女性雑誌の名前はイタリア語が多いことも分かった。
例えば「オッジ:今日」「ドマーニ:明日」「グランツェ:優美な」「ヴォーチェ:声」。
外国語と云うのは机上の勉強だけではなかなか身につかない。やはりそのシュチエーションの中で使うことが一番だ。食べる為に、泊まる為に、道を尋ねる為に、必要に迫られて使う言葉は2、3度使うともうしっかり忘れない。
イタリアに入ってまだ4日目、しかし私の頭の中にはすでにたくさんのイタリア語がインプットされていた。

 



< イタリアのホテルはほとんど朝食付料金 >

翌朝再度ヴェネツイアに戻り、無数の運河で仕切られた町を1時間程歩いて回った。
ごった返した昨夜の喧噪が嘘のように町は静かで、運河だけが食料や土産品の荷物を運ぶ船で賑わっていた。私はその運河沿いのカフェで、行き交う船の船頭達のかん高いかけ声を聞きながらブランチを取った。
イタリアのホテルはほとんどが朝食付きだが、中級以下のホテルでは、甘いクロワッサンとヨーグルト、そしてコーヒーとジュース。
どこでも判を押したようにこれっきりだった。だからすぐに腹が減ってしまう。
イタリア人は軽い朝食の代わりに昼食にたっぷりと時間をかける。
食べる量やメニューは夕食より多くワインも飲む。帰国後多くの人から「食べ物が美味しかったでしょう」と聞かれた。しかし「残念ながら」と私は答えた。
日本との味付けの違いもあるだろうが、それでもいただけない。いつも食べ残して、満腹しない分をどこにでもあったマクドナルドで補完していた。
ガイドブックにも載っている三ツ星以上ともなれば違うのだろうが貧乏旅行者には敷き居が高かった。帰国後家内に話したら「あなたの店の選び方が悪いのよ」と一喝された。しかし一般的な庶民の店の味に対する価値観は世界でも日本程質の高い国は無いと思っている。それでもイタリアの旅は楽しく、街の景観や緑豊かなトスカーナの自然に魅了されながら、バイク走行は快調に距離を稼いだ。

< ボローニャのカフェで >

アドレア海のヴェネツィアから西南に150km、エミリア&マーニャ州の首都でヨーロッパ最古の大学を持つボローニャに入った。13世紀にはすでに一万人もの学生を擁していたと云うこの街は現在人口50万人の大都会である。と書きたいが近代的な建物はほとんど目にすることはなく、街は土色の屋根一色の中世の面影をそのままに留めていた。これは他の都市でもそうであるが文化や芸術を保護する為の法律によって規制されているからだ。日曜日だからか、バカンス時期だからか街は閑散としていた。私はバイクをおいて歩いて街の中心を散策した。



街角のカフェで「ウン カフェ ペル ファボーレ」とコーヒーを注文した。
この場合は小さなデミタスカップにほんのひとくちの濃いエスプレッソが出てくる。
イタリア人はこれにたっぷり砂糖を入れて一気に飲み干す。
「これがないと一日が始まらないんだよ」と云わんばかりに。
このエスプレッソはエキスプレス(急行)から来ており、挽いたコーヒーを熱い蒸気を一気に通して煎れるからこんな名前になったそうだ。私もそのエスプレッソを一気に飲み干してから再びバイクに乗り、そこから東に100kmのアドレア海の静かな町ラヴェンナに入った。

< モザイクの街ラヴェンナ >

この静かな地方都市ラヴェンナはその昔、西ローマ帝国の首都であり、東ローマ帝国の時代にも総督府がおかれた政治の重要な拠点であった。その5〜6世紀頃に残された煌めくばかりのモザイク芸術が世界遺産として西洋美術愛好家の聖地となっている。
ヨーロッパ各地の大聖堂は文字の読めない大衆の為に、ステンドグラスや壁や天井に描かれたフレスコ画(壁画を描く方法のひとつで、生乾きの漆喰に鉱物粉末の顔料で絵を描き、壁が乾燥する過程で絵と壁が一体となり「壁画」に命を与える。
イタリア語のfresco:新鮮な・生気あるという言葉に由来する。光に強く1000年持つ)によって神の教えや、聖書の物語を伝えて来た。ここラヴェンナではその壁画を石のモザイクで描いているのだ。これは友人のステンドグラス作家:平山健雄氏からの受け売りで、今回イタリアを選んだきっかけでもあった。ダンテの「神曲」で「色彩のシンフォニー」と表現された今でも色鮮やかなモザイクは町のほとんどの聖堂で見られた。



モザイクの壁画

< やりきれない巡礼の旅 >

そのひとつ、八角形のネオン洗礼堂の天井のモザイク「キリストの洗礼」を椅子に座って眺めていた。直径7〜8m程の室内は壁際に沿ってベンチがある。
皆そこへ座り天井のモザイクを鑑賞する。私が座ったちょうど向かい側に東洋人の夫婦らしき二人が座っていた。二人は天井を見上げるのではなくじっと下を向き、婦人が辛そうな表情の男性を覗き込むようにして何かひそひそ話している。
この暑さの中を歩き回り体調をくずしたのだろう。婦人がふと顔を上げこちらを見た。
目が合って薄暗い洗礼堂の中でお互いしばらくじっと相手を見つめた。私は軽く会釈をした。
婦人も丁寧に会釈を返した。そして隣の男性の膝に手をやり私の存在を知らせた。
皇后の美智子様のようなおだやかな表情と、細く優しい目を見てその婦人は日本人とすぐ分かった。 しばらくして私達は外に出て話を始めた。やはり日本からのご夫婦で年齢は60歳位だった。婦人の横で挨拶程度で何も話さなかった男性は、ジーパンにTシャツでヘルメットをもった私の年齢を知ってから少しずつ話しに加わった。

彼はオックスフォードの白いボタンダウンの長袖のワイシャツに、太めのストライプのレジメンタルタイをシングルのウインザーノットで締めていた。
婦人は水玉のブラウスに木なりのゆったりしたスラックスで大きなひさしの白い帽子を手に持っていた。夏のラヴェンナが似合う素敵な御夫婦だった。
曇りがちの空に救われて私達はゆっくり歩きながらお互いの家族の話をした。
御夫婦は昔学生だった長女を事故で亡くし、そして今年の6月にもう一人の31歳の娘さんを病気で亡くされたそうだ。49日が終わリ、御主人は会社をやめた。
二人は娘さんが病気入院中「私が退院したら3人で旅行しようね」と自ら組んでいたイタリア9日間のコースを今その通りに回っているそうだ。
「お嬢様達は成人されて、東さんはお幸せですね」と優しく云う婦人の言葉に、私は「はい」とは云えず「いえ」とも答えきれず、心の中は何も声にならなかった。
まださ程老いてもいない彼等が、この巡礼の旅を通してそのやりきれない気持ちをどのように整理して帰るのかとても気掛かりだった。

最後に「来年春に長野でペンションを開業しますから是非来て下さい」と云う御主人の言葉に私は何か救われる思いがした。
その夜はもう街に出る気持ちになれず、ベットで赤いワインを1本空けて眠った。

< イタリアのマイアミトイ云われるリミニの海岸 >

昨夜の赤ワインでぐっすり寝むれたせいか気持ちの良い朝を迎えた。
近くの井戸でバイクを洗車し、まだ静かな街をバイクでひと回りしてから、モザイクの都ラヴェンナをあとにした。
昨日出会った夫妻は今日ヴェネツィアに向かうらしい。
私はイタリアのマイアミビーチと云われるリミニに向かいアドレア海沿を南下した。距離はわずか50km、東京から湘南に行く程の距離だ。



アドレア海のリミニ海岸

リミニはバカンスになるとドイツやオーストリアからもたくさんのリゾート客が訪れる。南北一直線に白い砂浜が延々と続き、海岸にはカラフルなパラソルがびっしりと敷き詰められていた。平行して走る海岸道路で私の目の前をビキニ姿の女の子達5人が奇声を挙げながら自転車で走り抜けた。それをあおるように後ろからオープンカーに乗った男達が音楽をガンガンならしながら追って行く。
「いったい何ごとだい」近くのビーチカフェの女の子が「あれはプレゼントを掛けたゲームよ」と教えてくれた。熱い太陽の下、ビキニで自転車にのる女の子の姿を見て、昔日本でもヒットしたイタリアの「サンライトツイスト」を思い出した。「もう一度見たいな」と思っていたらしばらくして又その集団が帰ってきた。夏のイタリアらしくていいじゃないか、と楽しい気分にさせられた。私はカフェの若者達としばらくバイク談義をした後、次の訪問地サンマリーノに向かった。

< 現存する世界最古の小さな共和国 >

イタリアにありながられっきとした独立国であるサンマリーノ共和国は、リミニからバイクでわずか30分程の距離であった。役所や宮殿は急な坂道をS字を描きながら登るり切った標高750mのティターノ山にある。
そしてそこからはアペニン山脈やアドレア海等を広く眺望できる。
世界で最古、そして面積もわずか61k?の小さな国だが、独自の貨幣や切手も作り、自国の軍隊まで持っていると云うから驚きだ。



サンマリーノ共和国


< 日本女性の大型バイクツーリング >

ティターノ山の頂上に向かう最後の急カーブにさしかかった時、そのコーナーでホンダのバイクが1台転倒していた。2台連れらしく二人で必死に起こそうとしている。良く見ると女性二人、それも日本人だ。バイクのフロントに小さな日の丸の旗があった。「大丈夫?手伝うよ」と近寄ると「えっ日本の方ですか、うれしい」と二人はホットした顔を見せた。私のバイクより大きな大型バイクだ。リッターを越える(1000cc 以上)重たいバイクにさらに荷物を積むと運転はかなり高度な技術がいる。走り出せばいくらか容易なのだが、低速や降りてから移動する時の取り回しがとても難しい。一瞬のバランスを間違うと大砲のようなバイクはもんどりうって倒れる。それを起こすのが大変で、荷物によっては大の 男でも難しい。
ましては女性では二人でかかっても無理なこともあり、坂の途中で倒れたバイクを3人掛かりでやっと起こした。「助かりました、ありがとうございます。」「いえいえ、でも大きいのに乗ってるね」「実は初めてなんです。これしか借りれなかったんです。」と云って辛そうな顔をした。



< チャオ ベッラ はナンパの言葉 >

二人はドイツでバイクをレンタルしオーストリー経由で3日前にイタリアに来たと云う。私達は頂上に付いてからカフェに寄りお茶を飲んだ。二人は昨日と今日、リミニの海岸で遊んだと云い真っ赤に日焼けしていた。「リミニの海岸はイタリアの
軟派氏が多いんだよね」と振ると「えっ、そうなんですか」と、背が高く髪の短い
リナさんが素っ気無く答えた。「あそこは、今の時期ドイツやオーストリアからの
バカンスに来るブロンド女性が多いんだって。それを目当てにイタリアの若い男性達がこのリミニに集まってくるらしいよ。」「へえ〜そうなんだ」。ある本に「チャオ、ベッラ:こんちは可愛い子ちゃん」と次々に声を掛けて歩くイタリア男性を
称して「パッパガッロ:鳥のオウム」と呼ぶと書いてあった。

「何だじゃあ君達には声がかからなかったんだ」と、かまをかけると「いえ、かかりました〜!」「やっぱり、どうだったの、イタリアの男は優しくてかっこいいからな〜」「こいつもうメロメロだったんですよ」「何言ってるの、それはノリでしょ」と云いながら二人は楽しそうにリミニでの出来事を報告してくれた。しかし若い女性二人っきりでヨーロッパをバイクツーリング。
大いに結構なことだ。しかし怪我しないで帰って欲しいと切に願う。
「事故に気を付けて楽しい旅をしてな。でも男も女も油断せずに相手をしっかり見なよ」と父親の心境でエールを送った「分かった大丈夫、お父さんも悪い女に気を付けてね」と1本取られてしまった。

旅は観光旅行と違って名所旧跡よりいろいろな人や出来事との出会いと別れの物語だ。そのひとつひとつの主役はもちろん全て自分なのだから旅はやめられない。 日本を出る前にイタリアを良く知る友人から、「南部は治安が悪いから特に気をつけてね」と云われて来た。
「了解!十分注意するよ」しかしその言葉がいかにいいかげんであったか自ら実証することになろうとは知らず、私は翌日一気に南下した。

つづく


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