#05 2002年夏 イタリア一周バイク一人旅
レッジョ〜シチリア島

 

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< レッジーナ の町へ >

 イタリア半島のつま先に位置し、シチリア島へもわずか90分と近い最南の港街レッジョ・ディ・カラブリア。そこは紀元前より地中海の交通の要所として栄え、古代ギリシャ植民地時代からの遺跡も数多く残る歴史的な町だ。この地域はベルガモットが世界の生産量 の半分を締めることでも知られ、又ワインの歴史も古い。  夕方5時ごろレッジョについた私は小高い丘にバイクで登り、眼下の街や真近に見えるシチリアのエトナ火山の雄姿を眺めた。およそ100年前の1909年、そのエトナ火山の噴火による大地震で、対岸のメッシーナと共にレッジョの街は大きな被害を受けた。現在の市街はそれから復興した現代的な建物の多い港町である。


 私は港近くに宿を探し、古びているがガレージのある小さなホテルにチェックインした。この地方ではバイクを一晩外に置くことは盗難覚悟の行為となると聞く。  私はその日バーリから一気に400km 走ってここへ来た疲れを癒す為、まずは一杯、とバールに入った。まだ早い時間なのにバールにはたくさんの客が酒を片手に盛り上がっていた。そこへ突然現れた見慣れぬ 東洋人の私に、カウンターの男が「中国人か、日本人か?」と聞いた。「私は日本人だ」と答えると。いきなり大きな声で「ジャポネ〜ゼ ナカム〜ラ」と云って握手を求めた。そしてバールに居合わせた他の客等が一斉に私を見た。あちらからも、こちらからも「ナカム〜ラ」と声がかかった。ど、どうしたというんだ「いや〜僕の名前はア〜ズ〜マ」と云いながら「あっそうか、サッカーの中村俊輔のことか」とやっと気がついた。

中村俊輔(レッジーナ)

 日本を出る前に中村のイタリア・セリエAへの移籍話は知っていた。それはここレッジーナだったのだ。それにしても凄い人気だ。私までこんなに歓迎されると云うのは日本人がよほどめずらしいのだろう。実は帰国してから知ったことだが、私がこの町へ着いた7月24日は、中村がレッジョで入団発表しエースナンバー10の入ったユニフォームをもらったその日だったのだ。正にジャストミートの訪問であった。私は余りに盛り上がる皆の調子に乗せられて、大きな声で「レッジーナ!ナカムラ!バンザ〜イ!」と云って両手を上げた。これがどうも受けてしまった。皆がまねをしての大合唱となったのだ。何度も万歳をして私はその熱気で、いや実は冷や汗をぐっしょりかいてしまった。日本ならここで誰かが「オイ俺のおごりだ一杯飲め」とくるはずだが、おしくも声は掛からなかった。しかし「日本はどこにある?」から「日本人は何を食べている?」まで、質問の声は止まなかった。私はポケットから出した10ユーロ(1200円)札1枚をカウンターに置き、うまいビールとワインで心地良く幸せに酔わせてもらった。


 それにしてもレッジョの人々のナカムラに対する期待度はものすごかった。帰国した今、中村はその評判通 り、いやその何倍もの活躍だ。つまり彼等の見る目が確かだったとも言える。イタリア半島最南の港町レッジョ・ディ・カラブリアはとたんに日本で有名になった。日本でのワールドカップとイタリアで活躍する中村や中田のジャポネーゼ選手の効果 で、イタリア人の日本に対する関心と親近感も一気に高まった。


レッジョ カラブリア から メッシーナ へ

 翌日私は殺風景なレッジョの港からフェリーでシチリアの玄関口メッシーナに向かった。50台程の車を積んだこの中型フェリーは片道90分の船旅で、一日3往復している。私は船で一緒になったイタリアの若いカップルにイタリア女性の口説き方を教わりながら楽しい時を過ごした。結論は名前を「シュンスケ・ナカムラ」 と名乗るしかないと言って笑った。


< シチリアは映画の舞台 >

 シチリアと言って思い浮かぶのはまずマフィアかも知れない。そしてシチリアを舞台にしたいくつかの映画、「ゴッドファーザー」「ニューシネマ・パラダイス」「山猫」そして「グラン・ブルー」も思い浮かぶ。その幾つかのシーンに出会えればいいな、と思いながら私はBMWーF650のツーリングバイクを走らせた。


シチリアの海岸線を走る列車

 メッシーナからシチリア島東の海岸線をゆっくり南へ向けて走った。長く美しい海岸や入り江がくり返すように止めどなく目の前に広がり、私はその度に何度もバイクを止めてカメラを向けた。しかしすぐにこの風景は特別 ではなく、シチリアではどこを走っても当たり前のように登場する日常の風景なのだと気がついた。もうシャッターを切るのを止め、景色を堪能する為に低速でバイクを走らせた。私はここでどれだけ時間を費やそうと惜しむ気持ちにはならなかった。


< サムライ爺さんとの出会い >

 メッシーナを出てもう3時間は経っただろうか、太陽がさらに高くなり海の色が一段と青さを増した。「泳ぎたいな」、暑さのせいか急に水が恋しくなった。 海 に沿って走る道路にバイクを停め、私は小高い崖の上から小さな入り江を見下ろした。入り江の内側には古い石壁の小さなホテルとレストランがある。どうやらそこはプライベートビーチだ。波はなくうっすら青い海水は透明で海の底まで見えた。水面 に浮かんだ小船がまるで宙に浮いたように静止して誰かを待っている。しばらく眺めていた私は意を決し、持参の水着に着替えて小高い崖を伝って下りた。そしてそのままその海に飛び込み4m程の海底まで一気に潜った。海に潜ったのは何年振りだろう。石ころをひとつ持って浮かび上がった私は思わず奇声を発した。
「気持ちい〜!」その声が届く程の小さな入り江をゆっくりと泳いで周り、しばらくしてから中央に浮かんだ小舟に近付いた。無許可の侵入者に誰も気がついた様子はない。私はずうずうしくもその小舟に乗り込もうと船に手をかけた。するとゆらりと揺れたその船からひょっこり小柄な爺さんが顔を出した。人がいたんだ。見ると80歳は越えていそうだ。あわてて「ボンジョルノ」、と挨拶した私に爺さんはむっつりした顔で乗れと手招きした。二人がやっとのその船で彼は身体を焼いていたらしい。


 小舟の上から崖の上の道路に見えるバイクを指差し、あれで旅をしているんだ、と話した。爺さんは「そうかお前は偉い、わしも若い頃から世界中を回っている。9月には上海へ行く」と英語で話した。各地に散らばった子供や孫達と毎年ここで集まりバカンスを過ごすという。ビーチのテラスで皆と一緒にビールをごちそうになった。私が美しい家族達と化粧の話をしている間に爺様はいびきをかいて寝てしまった。黒いサングラスが鼻からずれて、白く濃い睫 毛が時たまピクピク動く。この爺様は皆に心から愛されているなと感じた。「爺様元気で、さようなら」と眠った彼の肩に手をやった時、なにげなく彼のたるんだ腹部に目がいった。良く見ると腹を縦に縫い合わせた痕がある。「負けた!」凄い爺様だ。こんな人は命が尽きる瞬間まで、人生を太くしつこく生きるのだろう。私はこの出合いがこの旅の一番の収穫になったかも知れないと思った。


タオルミーナの円形劇場

< グランブルーのタオルミーナ >

 爺様と別れたその海は、10年程前日本でもヒットしたあのジャンレモの映画
「グランブルー」の舞台となったタオルミーナの海岸であった。その映画は実在の二人の素潜名人を題材に、フリーダイバーの世界を描いたもので、友情、家族愛、そしてシチリア島の自然の海の美しさを心にしみる程感じさせてくれた。映画の中でひとつ気になった場面がある。主人公の一人エンゾ(ジャンレモ)の母親に対する従順な態度だった。日本的見方をすると「マザコン」の一語で片付けられそうなそのやりとりに、私はどうしてもその場面の存在理由が理解できなかった。しかしそれはイタリアに入って徐々にその謎が解けた。イタリアの男性は女性を尊愛し、いたわる。特に母親に対する愛情はとても大きいことが分かった。友情や家族の絆は日本以上に強い。あのマフィアの絆を見ても理解できるだろう。  
 世界の三大テノールの一人でイタリアの巨星、ルチアーノパバロッティーの歌に「マンマ:母さん」と云う曲があり、大ヒットした。「僕はお母さんを心から愛している、あなたが側にいてくれるだけで心が安らぐ・・」と延々とつづる母親への愛の歌なのだが、正にそのことを裏ずけている。考えてみれば日本にもあった。森進一の「おふくろさん」と云う曲だ。友情、家族愛、郷土愛、愛国、その全ての愛の基礎は母から始まるのかも知れない。その母が見守る小さな男の子もいつしか男として人間として成長し、恋人を、家族を、母を、しっかり守ることのできる強い優しさを持つようになるのだろう。そして母の純粋な愛を全て受け入れて従順に振る舞うものなのかもしれない。母の愛は広く青く深い海のようだとも形容される。映画「グランブルー」のテーマは正に「愛」だったのかもしれない。


 タオルミーナはヨーロッパのセレブに人気の高級リゾートだ。街は海岸から曲がりくねった坂を登り、海抜250mの丘にある。街のギリシャ劇場から望むエトナ山やイオニア海の眺望は朝、昼、夕とその趣きを変えてどれも感動を与える。    私はこの場所に限り唯一贅沢な部屋を取り、一泊限りのプチセレブを味わった。そして大きなベットでイタリア式もてなしの心も悪くないなと、ひとり幸せな一日を振り返りながら眠りについた。                       



つづく


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