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#最終回 |
2002年夏 イタリア一周バイク一人旅
シエーナ〜キャンティー街道
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最終回 サンレモ、そしてミラノ帰還
< 魔法使いの婆さんとの別れ > |

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< リビエラに沿ってサンレモへ>
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| < サンレモ着 >
夕方6時頃、椰子の木が立ち並ぶサンレモの海岸に着いた。ホテルを探そうと道端できょろきょろていると、10代の若い男の子が声を掛けて来た。「ホテルを探してるんだ」すると「ここがいいよ」と目の前の門を指差した。ベッカムの少年時代のような甘いマスクの人なつっこい笑顔で云った。じゃあそうしようと中に入った。たくさんの草花が咲いている庭の奥に小さなホテルがあった。 少年は家族でこのホテルに滞在しているそうだ。 フロントには大柄で太った60代のおばあさんがひとりで座っていた。「ひとりだけど部屋はありますか」と聞くと「日本人かい、良く来たね。ここに名前を書いて、パスポートを見せて」と有無を言わせずペンを差し出した。サインをしていると奥から背の高い70才位 のおじいさんが出て来た。このホテルの主人らしい。外にバイクを止めてある。と告げると一緒にガレージに案内してくれ荷物も持ってくれた。 「荷物を置いたらここでコーヒーを飲みなさい」とおばあさんが優しい笑顔で云った。イタリアで一緒にコーヒーを飲むと云うことはおしゃべりをして親愛の情を深める行為である。家庭的な雰囲気のいいホテルだと感じた。 |
| < 宮殿の中庭で聞いた往年のジャズメン達の演奏 >
コーヒーを飲んだあとサンレモの町を散策した。毎年2月にサンレモ音楽祭が行われる高級リゾート地として世界に知られるこの街は、今まで訪ねた他のリゾート地と比べて落ち着きと品のある大人の街と云う感じで気に入った。 散歩から帰るとフロントで待っていたおばあさんが「見つけたわよ」と云って小さな新聞の切り抜きを私に渡した。出がけに「生の音楽が聞きたい」と云った私のリクエストに答えてくれたのだ。「宮殿の中庭でジャズの夕べ」と云うホントに小さな予告記事だった。多分老眼鏡をかけて必死で探してくれたんだろう。 歩いて15分のその宮殿の門に小さな案内を見つけて中に入った。上り坂の広い庭を歩いて登ると200席程の椅子を並べた中庭があり、野外ステージが設けられていた。30分程前だが一番乗りだった。ビールを飲みながら待っていると二人、三人と連れ立った年輩の人々が集まって、演奏が始まる頃にはちょうど200の席が埋まった。無料で予約もいらないこの演奏会に何でこのようにぴったりの聴衆が集まるのか不思議でならなかった。 往年のジャズメンと云う感じの老年クインテッドがすばらしいテクニックの演奏を聞かせてくれた。前にも触れたがジャズの魅力はインプロビゼーション(即興演奏)だ。曲のテーマを楽譜通 りに演奏した後、その和音進行に乗せてメンバーが順にそれぞれのイメージで即興で曲を作り演奏をする。そしてもうひとつの魅力は不協和音がもたらす和音進行の味わいだろう。クラシックでは決して多用しない不協和音をこれでもかと云う程多用するジャズの和音進行はとてもセンスィティブでスリリングで理論的だ。さらにその不協和音は後に来る正和音の美しさを何倍にも際立たせる。 人生もそんな感じでいいのではないか。苦労の合間に小さな幸せが適度にちりばめられている。だから幸せと感じるのだ。苦労も不幸も受け止め方で無駄 にはならない。54年生きて来た私はそのコツを幾つかものにした。楽しくて幸せばかりの人生なんてありえない。これからも喜怒哀楽、そこそこ波乱万丈のJAZZのような人生を楽しみたい。 途中から男性ボーカルが加わり、スタンダードとカンツォーネを歌った。歌いながらステージを降りて来た歌手が一緒に口ずさむ私の口元にマイクを向けた。遠慮なく歌う私に聴衆からやんやの拍手が湧いた。 「グッドジョブ」と後ろに座っていたアメリカ人夫妻が私の肩をたたいて声を掛けた。テネシー州のメンフィスに住んでいると云った。学生時代にカントリー&ウエスタンをやっていた私と話しが合わない訳がない。メンフィスはエルビスプレスリーの町であり、そしてカントリーの本拠地ナッシュビルにも近いからだ。帰り道も歩きながらその話しは続いた。思い掛けない二夜連続の幸せな真夏のジャズナイトだった。 |

| < 老夫婦オーナーの居心地の良いホテル
> そのホテルの居心地はイタリアに来て一番良かった。わずか6部屋の小さなホテルで、老夫婦二人だけでやっているらしい。客は皆常連さんのようで、親しげに家族のような接し方をしている。二人を見ていると話し方も、しぐさも、動作も、すべてゆったりと、急がず穏やかに笑顔を絶やさず、そして心を込めて対応している。建物も部屋も古く質素であるが、清潔感があり木の温もりを感じさせるような柔らかい空気に包まれたホテルだ。 「本当のもてなし」というのは押し付けでなく、「物」でなく、「空気」なのかもしれない。サンレモにもう一度来る事ができたら又ここに泊まろうと思う。 |
| < フランス経由ミラノへ帰還 >
翌日はミラノへ帰還の日だった。しかし私はサンレモを発ち、まず海岸沿いにフランスを目指した。国境までわずか25km。せっかくだから記念入国して帰ろうと考えたのだ。岬を回る度に見える美しい景色。山本コウタローの「岬〜めぐりの〜、バスは〜走る〜」と「岬めぐり」を歌い、無事にこの旅終えてミラノへ帰れる満足感を味わいながら走った。 30分でモンテカルロ着。あのモンテカルロレースのコースを走り、更に30分でニースの海岸に着いた。国境での検問は廃止され、どこが国境線であったか気ずかず越境していた。昼時であったが、フランスフランに両替えするのが面 倒と何も食べず、飲まず、ただ海岸を散策して帰路に着いた。実はフランはユーロに通 貨統合されていることをすっかり忘れていた。 「これでもう満足だ。さあ帰ろう」私は一気にミラノを目指し高速道路を突っ走った。 |

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< ミラノ在住10年の森田氏との語らい >
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ミラノのマルペンサ空港を離陸した飛行機の窓から、私は遠い南の空を眺めながら、パレルモからナポリに渡るフェリーで出会った老婆に思いを馳せた。もうシチリアのマルサーラに帰っただろうか。あの時私の手に握らせた20ユーロ札は今も使わずに持っている。元気で長生きして欲しい。そして又いつかシチリアを訪れて元気な老婆の姿を探したいと思った。 完
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