#02

2004年夏 北海道バイク一人旅 その2


はっぴーとーく樹音 店主:東賢太郎(56才)

 

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「 37年の時を経て 」

 今回の私の旅には大きな目的があった。37年前の19才の夏、私は浪人の身で北海道へヒッチハイクの旅に出た。その時、泊るあてのない私を襟裳岬に近い静内町にある牧場が救ってくれたのだ。
 もう昔の話で、名前も住所も場所の記憶さえも薄れて分らない。しかしその時牧場で写した数枚のモノクロ写真が残っていた。その写真を頼りにその牧場を探して尋ねてみたいと思ったのだ。


 1967年夏のことである。獣医を目指し大学受験した私は力が足りず希望の大学を落ちた。浪人となり4月から代々木ゼミナールに通っていたが、昔からの放浪僻は変わらず、夏季講習で励む他の受験生を尻目に北海道を目指して旅に出た。
 きっかけは、勉強で疲れた真夜中、たまたま手にとった雑誌に日高の牧場で、夏の間牧場の草刈りをするアルバイト学生の記事がからだ。もうひとつの理由は、その年に封切られた日本映画「その人は昔」の影響があった。
 舟木一夫と内藤陽子の日高の牧場を舞台にした悲しい恋の物語りだった。団塊の世代の人々はおそらく皆記憶にあるだろう。その主題歌「白馬のルンナ」は内藤陽子が歌い大ヒットした。彼女はその映画の前に、テレビドラマ「氷点」のヒロインを演じ一世を風靡し、そしてこの映画を最後に引退した。そして音楽家 喜多嶋 と結婚しロサンゼルスに移り済んだ。その彼女の娘は今タレントの 喜多嶋 舞だ。

 当時19才の私はそのヒロインに惹かれ、そして牧場に憧れた。私は母に「北海道の獣医に会ってくる」と言って、母から2000円の旅費?をもらい旅立った。剣道の竹刀に大きなずた袋をぶら下げて、ヒッチハイクの旅だった。旅の途中農家や魚屋で一日ずつ手伝いをしながら食費を稼ぎ、札幌までたどりつくのに10日かかった。札幌宮の森のユースホステルに8日間泊り、すすき野のナイトクラブのチラシ配りや、サッポロビール工場で、ビール瓶のケースを貨車へ積み降ろししたりして日銭を稼いだ。当時ユースホステルは一泊2食付で650円の時代だ。

 少しの小使いを残し私は日高へ向かった。ヒッチハイクで乗用車やトラックやバイク等沢山の車を乗り継ぎ静内町に着いたのはもう夕暮れ時だった。牧場を一軒一軒まわり「草刈りのアルバイトをさせて下さい」と頼んでまわった。しかし8月の終りで草刈りは全て終わっていた。十数軒回った頃には既に夜11時を過ぎていた。8月後半の北海道の夜はかなり寒くなっていた。次の牧場の奥さんが「仕事はないけど行く所がないんでしょう。しばらく内にいればいい」と言って迎え入れてくれた。野宿せずにすんだ。

 翌朝から私は厩舎の草の入れ替えや掃除や雑用で一生懸命働いた。その家に高校生の娘がいた。可愛かった。話し掛けたい気持ちはあったが、居候の身でそれは遠慮しようと思った。恥ずかしくて声をかけられなかったことも理由だが会話は一切なかった。彼女も私を気にしていたようだが、当時の私達の年代は非常にシャイだった。

 一週間お世話になったが、いつまでもいてはいけないと思った。予備校に戻らなければとも思い、牧場に別れを告げた。当時まだ30代後半位の奥さんがおむすびをにぎって私に持たせた。涙が止まらなかった。
 家に帰ってから礼状を出したか記憶がない。もう37年前の出来事で、牧場の名前も住所も、位置も覚えていない。バイク旅行で北海道はもう最後と感じた今年、アルバムを探してみたらモノクロの写真が出てきたのだ。

 私は小樽に入り、右回りで道内を一周しながらその牧場との再会をいろいろ想像しながら走った。絶対探し出し、あの奥さんと娘さんに会いたい。その一念でバイク走らせながらもゆっくりその時を待った。



つづく

 

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