#03

2004年夏 北海道バイク一人旅 その3


はっぴーとーく樹音 店主:東賢太郎(56才)

 

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 小樽から留萌、サロベツ原野を抜けて北の端「稚内:ワッカナイ」に着いたのは夕方5時だった。ホテルをと思ったが、部屋でひとりぽっちも寂しいのでユースホステルに電話した。幸い部屋があり1泊朝食付きで¥4100だった。この時期に予約無しで取れたのが意外だった。
 収容50人程の規模だが、客は私を入れて十人程だった。今の若者は国内より海外に目が移り、安いパック旅行で行くところが沢山あるからだろう。そして自然に浸る旅よりもっとおしゃれな旅に人気があるからだろうか。客は全てが30代以上で、シンガポールの女性、サハリンの女性、大阪の女性、スペインの男性、福岡の男性、その他工事現場で働く出稼ぎのおじさん達だった。食堂で遅く迄おしゃべりをした。
 シンガポール女性の話だと、東南アジアの人々は北海道の自然に大きな魅力を感じ、毎年旅行者は増える一方らしい。一番多いのは台湾からの旅行客で、香港からも相当多いらしい。向こうにはこんな平原はなく、又冬の景色は皆無だろう。
 稚内から北に120km,船で約6時間のところにロシア「サハリン」がある。現在この区間に限っては自由に行き来ができる。但し往復65000円と船賃は高い。サハリンの彼女は日本人の彼氏に会いに時々くるらしい。稚内の町にはロシア語の看板が目立ち、商店の全てにその表示があった。
 夕食を食べに町に出た時、商店街の中央にある化粧品やさんへ立ち寄った。「ゆっくりしていって下さい」と、飛び込みで来た初対面の私をすぐに奥へ招き入れてくれた。北海道の人は皆いつもこんな感じだった。町の景気は苦しいと云う。しかし丁寧な接客と技術サービスの姿勢を見て、このお店は大丈夫と感じ、私の店(化粧品店)に思いを褪せた。この日、街はお祭りの最中だった。


 スペイン人は海洋学の学者で、世界の海を回っているという。常にパソコンを持参し「今は世界のどこにいようと不便を感じない」と云った。私は3年前にバイクでスペインを回った経験を話し、彼と国境のなくなったヨーロッパの現状の話しをしながらワインを1本空けた。彼等は世界のどこへ旅してもその国を、その町を存分に楽しむすべをしっている。人と人との交流がその地を味わう一番楽しい方法だと。
 他の人々ともそれぞれの旅の経験を語り合い、10時の消灯あともアチコチで遅く迄ボソボソと話し声がつきなかった。旅の楽しさはそこにある。

 翌朝、そこから更に北へ20kmの宗谷岬に行った。一般の観光客は少なかったがバイクや自転車や徒歩の旅人が30人程いた。皆全国各地からこの北の果てを目指して来たのだ。女性が多いのに驚いた。それも皆一人旅。男女4人で座り込み缶コーヒーを飲みながら一時間位話した。


 その内の30代の男女二人が意気統合し「じゃあ今日は二人で小樽迄走ろう」と楽しそうに2台のレースレプリカで走リ去った。残った私の相手?でもないが、彼女はスーパーカブ50cc(新聞配達の人が乗るバイク)に大きな箱を積みそれに荷物を積み旅していた。女性がそれじゃ格好も何もないだろう?、いやそれが格好いいのだ。スピードは50kmがせいぜいで、広く真直ぐな海岸道路をトロトロと走る姿は何とのどかで絵になるのだろうか。荷台にカラフルな5本の三角旗を刺していた。北海道全土に「ホクレン:多分北海道の地場のスタンド連合会?」と云うガソリンスタンドがあり、「蜜蜂族:ブンブン走るバイク族のこと」に対して大変好意的で、どこでも旗や地図をくれる。道内各地を走りながら、その旗をゲットし、荷台につけて走る。「私は北海道を走っている」そんな実感を持たせてくれる錦の御旗のようなものだ。


 先に走り出した彼女のバイクを私は後ろからエールの警笛を鳴らし、手を振りながら抜き去った。バックミラーに写る彼女が大きく手を振ってくれるのが見えた。もう会うことのない彼女に「気を付けて楽しい旅をしなよ」そう思いながら大平洋側の素晴らしい景色の海岸線を、網走方面に向けて南下した。走りはじめて1時間程、ある道の駅で私は37年前の自分に出会った。

つづく

 

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