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<釧路から襟裳岬へ> 翌朝、釧路から大平洋沿いに約200kmの襟裳岬に向かって南下した。天気は快晴。街を離れて曲がりくねった海岸道路を走ると、砂浜や岩場に打ち寄せる白い波の泡が太陽の光に映えて清々しかった。そのグランブルーの海が青い空とつながる水平線を眺めていると、地球は確かに丸いと実感させられる。沖を走る大型の貨物船の軌跡も絵になるのどかで素晴らしい眺めだ。正に北海道ならではのツーリングを堪能した。
途中の道の駅には砂浜があり、夏の終りに近い強い波が打ち寄せていた。小さな男の子を挟んで丸太に座る親子ずれの後姿が潮騒の音をBGMに幸せな風景を作っていた。右手におむすびを握ったまま身じろぎもせずじ〜っと海を見つめるその男の子の心には、一生忘れることのない音と映像と温もりが残ることだろう。きっと海が好きな少年になるにちがいない。
襟裳岬に昇る道路の両脇には丈の長い草原がしばらく続いた。大平洋に突き出た断崖絶壁の襟裳岬に来たのは5年振りだった。しかしその岬の丘の風景は以前とまったく変わっていた。5年前は駐車場と茶店だけで付近一体は自然な雑草が生い茂っただけの寂しい岬だった。現在は岬の突端に「風の館」という大きな展望施設が出来ていた。館内には風速40mまで体感できる風の体験室があリ、寒い冬でも海を見晴らせる階段状のガラス張りの展望室もあった。
外に出て岬の断崖から見下ろすと、岩場に打ち寄せる白い波が青い海の縁取りのように遠くの海岸線まで続いている。そこには海から暖かくて強い風が休むことなく吹きつけていた。夏の風は気持ちがいいが、真冬の冷たい風は心まで凍てつかせるのかも知れない。私は森進一の歌「襟裳岬」を思い出した。歌詞にある「北の街ではもう、悲しみを暖炉で燃やし始めているだろう・・・、襟裳岬の春は、何もない春です」は、冬の岬を実感した吉田拓郎の正直な実感だったのだろう。 茶店に入るとおばちゃんが「今日はどこに泊るの?ここは素泊まり安いよ」と若い旅人達に声をかけていた。しかし、どこかもの悲しいこの岬で一晩過ごそうと云う若者はいなかった。私は美味しい地元の牛乳を一気に飲み干した後、再びバイクに跨がりアクセルを蒸かせた。いよいよ日高の牧場地帯に入る。
サラブレッドの約9割を産するこの日高地方だが、主な牧場は海岸線の静内町と新冠(ニイカップ)町に集中している。ハイセイコウやオグリキャップの故郷だ。 夕方静内町に到着した。駅近くのビジネスホテルにチェックインし、まずフロントで「37年前、私が19才の夏にお世話になった牧場をこのモノクロ写真を頼りに探したいんです。住所も名前も覚えていないのです」と相談した。すると「向かいのスナックで聞いてみなさい。牧場関係のお客さんが多いよ。スナックは若い女の子もいるしみんな親切だよ」と意味ありげな笑顔で教えてくれた。 お腹もすいていたのでまずそのスナックへ行った。確かに若い?30代後半〜50代位の女性ばかり4人いた。親身になって写真を見たり、他のお客さんも加わり店は牧場探しで盛り上がった。女性達の飲み物のおねだりも多かった。料金が心配だ。私は頃合をみてに引き上げることにした。しかしあれだけ飲んで食べておごってもたった3000円だった。道路まで女性が送りだしてくれた。そして「あそこの居酒屋のご主人が詳しいよ」と指差した。やさしい人々の街なんだと感じた。 その古い居酒屋「らく楽亭」に入ってビールを注文した。カウンターで年配のおじさん達が豪勢に料理を広げて飲んでいた。分厚いトンカツをさくさくと食べる隣の男性に、「それ美味しそうだですね〜」と声をかけた。そると「そう、ここのトンカツは絶品だよ、なあおやじ。おい、この人にも作ってあげな」といきなり御馳走してくれた。まだ出会って5分、初めの会話はそこから始まった。皆牧場と取引する業者さん達で、私の牧場探しに大いに興味を示してくれた。居酒屋の御主人や奥さんも仕事しながら話に加わった。「あなたの記憶は静内町と云うけど、この写真の牧場は大きいよ、これだけの規模だと隣の新冠じゃないかな」そう云えばスナックでもそう云われた。「静内には二十間道路桜並木と云う有名な道路があってね、その一帯に大きな牧場が集まっているからまずそのあたりで聞いてみな」と教えてくれた。 翌朝私は軒並み牧場を訪ねてその写真を見せた。「当時この牧場には高校生の女の子もいました。」思い出すかすかな記憶を話すが、37年も前の話ではたいした情報にならない。「もう厩舎も母屋も建て替えただろうし、写っている放牧場の風景も変わっただろうからね」と、皆同じように云った。念のため丘を越えた新冠に移動して聞き込みを続けた。途中にあった駐在所を訪ねた。「この写真じゃ分らないけど、こことこの牧場にはまだ年寄りがいるから聞いてみるといい」。私は結局15軒位の牧場を訪ねたが何の手がかりも得られなかった。しかし、皆気さくに話をしてくれ、現在の牧場経営の苦しさも知らされた。今全国の公営競馬場が経営の危機にあり、廃止の方向が加速している。その先には関係者の失業や競走馬の処分と云う悲しい現実が待っている。
<牧場探しの結末>
もう十分だ。私はもう一度その牧場地帯をバイクで一回りして別れを告げた。お世話になったにスナックの人々、居酒屋の御主人、駐在所のおまわりさん、そして沢山の牧場の人々の暖かい心に感謝感動だ。 海岸線を走る私は、塩の臭いのする風を受けながら気持ちを冷ました。「でももう帰ろう」あと6日の休みを残しながらルンルンと旅を続ける気持ちが萎えていた。北海道をバイクで走るのはこれで3回目だだった。もうバイクでここにくることはないだろうと思った。 <登別温泉で出会った赤いライダージャケットの人>
<旅の結末>
フェリーは真っ暗な大平洋を7時間走り夜中の3時に八戸港に着いた。その後の顛末は初めに書いたように、エンジントラブルでリタイヤだ。早朝の東北道で時速130km、転倒して死亡と云うことにならなかったのを幸運と思うしかない。そのバイクはトラックで川崎まで陸送され手元に戻り今修理中だ。私は仙台のひとつ先の古川駅から東北新幹線で帰った。窓から眺める外の景色は前から後ろに風のように過ぎ去る。遠くに流れる山や田園風景をみていたら、幼い頃父と二人で東京から鹿児島まで旅をした思いでが甦った。ゴトンゴトンと走り、窓から駅弁を買い、父の膝枕で夜を過ごし、鹿児島の駅には親類の人々が迎えに集まっていた。多分それが今の私を旅好きにさせた原点だったのかもしれない。 おわり *つたない素人の旅の話におつき合い下さり、誠にありがとうございました。 (ご感想をお聞かせ下さると嬉しいです。 head@junet.co.jp 東賢太郎) |
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