#03 2001年夏 スペインバイク一人旅
はっぴーとーく樹音 店主:東賢太郎(53才)

 

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太陽の海岸「コスタ・デル・ソル」
巡礼の道「カミノ・デ・サンティアゴ」を訪ね
スペイン一周のバイクツーリング6000kmの旅

 

 HONDA-NX650のツーリングバイクでマドリッドを出て7日目、アリカンテで起きた転倒事故とリュックの盗難で落ち込んでいた私は、バレンシアで会った日本人女性との会話ですっかり元気を取り戻していた。そしてその日の夕方、私は500km離れたバルセロナに向かいを高速道路を北上した。「バルセロナの生ハムは最高だった」と云う彼女の言葉にすぐ反応してしまったのだ。今思うと可笑しくなる。東京から京都の距離を夕食を取る時間になってから移動する訳だ。海外へ出るとなぜかその距離感覚が変わってしまうのは多くの旅人が体験したことだろう。前にも記したが、真夏のスペインの日没は遅く夜の9時頃である。500kmの距離は高速道路で4時間弱。まだ陽のある内の移動であった。



< プライドの高いカタルーニャの人々 >

 ひとくちにスペインと云っても北部と南部では気候も文化も大きく違う。さらに現在はアンダルシア、カスティーリャ、ガリシア等17の自治州と州都に分かれ、それ ぞれの自治州は日本の都道府県とは比較にならない程強い自治権と自主性で統治されている。中でもフランスに近く、地中海沿岸でバルセロナのあるカタルーニャ地方は「スペインであってスペインでない」と云われる程独自の言語と文化を受け継いでいる。又「私はスペイン人である前にカタル−ニャ人である」と云う程プライドも高い。後に帰国の飛行機の中で知り合った日本の高校の先生が「彼等は情熱と感性のスペイン人と云うより論理的でプライドの高いフランス人に近いよ」と話してくれた。 マドリッドに次ぐスペイン第二の都市バルセロナに到着したのはちょうど陽の沈んだ9時頃であった。

 

< バルセロナ で歌ったベイブルース >

 カタル−ニャ広場から海に向かう並木道がカフェや露店、そしていろいろな大道芸人で賑わう有名なランブラス通りである。その一番はずれに高さ50m位のコロンブスの塔があり、彼の指先は海の方を差している。その前をバイクで通りかかると二人の若者が石段に腰掛けてギターを弾いて歌っていた。エリッククラプトンの曲を実に上手くハーモニーも付けて歌っていた。すぐ脇にバイクを止めてしばらく聞いていると、「オーラ(やあ)」と話し掛けて来た。スペインバイクツーリングで日本から来た。と話すと、彼等はフランス留学中のアメリカ人リックとアラブ人ジェアンと名のった。この夏休みにワゴン車で寝泊まりしながら旅をしていると云う。 「私も昔ギターを抱えてヨーロッパをヒッチハイクしたんだ」と話すと「じゃ一曲なにかやろう」と私を誘った。学生時代クラブ活動でアメリカンフォークをやっていた私は、30年前の一人旅の途中ローマでギターを買い、行く先々で恥ずかし気もなく歌い小銭を投げてもらった。そんなことが流行っていた時代だった。その記憶がどっと蘇り「OK,OK!」彼等も知っていると云う「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」を歌った。アップテンポのこの曲を借りたギターをシャキシャキとブルースの循環コードできざみながら歌うと、リックが横で見事な間奏をアドリブでいれてくれた。ジェアンも2個の空き缶で地面にたたきながらゴキゲンなノリで加わった。前を歩く観光客が二人、三人と立ち止まり、終わり頃には10人位の人が三人を囲んでくれていた。歌い終わると何人かの人が前に置いたギターケースに小銭をほうり込んでくれた。「やったね」久々背中に汗をかきながらも見知らぬ人々の拍手に興奮してしまった。私はまだホテルを決めていないのも忘れ、その後も空き缶で演奏につき合った。その晩私は彼等のワゴン車の座席で一宿の恩を得た。私はこんな旅をしている自分が幸せでならなかった。   


< アントニオ・ガウディーと日本の若者達 >

  バルセロナと云うとオリンピックとガウディ−だろう。ちょうど今日本のテレビCMにも登場している大聖堂「サグラダファミリア」(聖家族教会)は1860年に建設が始まり数年後からアントニオ・ガウディーに引き継がれ既に150年も経過している。そして完成までまだ100年とも、200年かかるとも云われている。私は正面に見える4本の塔の中にある狭いら旋階段を歩いて登った。地上30mの小窓からカテドラルの内側を見ると、まだクレーンや工事の足場と資材の散乱する工事現場そのものであった。 見晴しの良い街の展望は、所々中世からそのまま今に至っているかのような、淡いレンガ色の屋根が続く静かな町並みであった。 階段を降りる私の前を日本人の若いカップルが歩いていた。モデル風のスタイルの良い女の子が歩きながら前を歩く彼に盛んに話しをするが彼は全く返事をする様子がない。少しいらつき始めた彼女のおしゃべりに私は後ろから返事をしてあげた。「僕も日本のパエリアの方がぜんぜん美味しいと思ったよ」。すると彼女は我が意を得たりとした笑顔で「そうですよね。ほら、私だけじゃないよ」と振り返って答えた。前を歩いていた彼も立ち止まって振り向き「久しぶりにこの娘以外の日本語を聞きましたよ」と笑った。すると今度は私の後ろから「僕も日本語を聞くのは久しぶりですよ」と、日本人の若い男の子だった。4人とも堰を切ったように大きな声で話し始め、笑い声が細長いらせん階段の上から下へ響いていった。日本を離れて少しでも長く海外を旅していると、常に海外特有の緊張感に押さえ付けられたストレスを感じている。その時そこで生まれた4人の空間は一気にその緊張の糸をほどいてくれた。下へ降りてからしばらくおしゃべりをして皆と別れた。若いカップルのスペインでの楽しい思いでを祈った。
 教会の中にある資料館を見学すると、建築の為のいろいろな工法やデザイン、図面がたくさん展示されてあった。何で大昔にあんなスケールのでかい建物を造るこ
とが出来たのだろうか。ただ謎と感じていた私は想像を越える精密な図面や工法のみごとさに息を飲まされた。

< 思い出の地サンセバスチャン >

 バルセロナに2〜3日滞在してゆっくり見学するつもりでいたが、観光客と都会の喧噪を感じる街のあわただしさが好きになれず、私は翌日北へ向けて再びバイクを走らせた。ピレネー山脈に近いサラコザ、そしてウエスカを経由して3日後、私は思い出の地サン・セバスチャンを訪れた。学生の頃、フランスの西部ボルドーから海岸線のバイヨンヌを経由し、国境を越えてたどりついたスペインはカンタブリアの真珠といわれる美しい海岸の街サンセバスチャンだった。当時は3月、人陰はまばらで静かな海辺の街が気に入ってユースホステルに3日間滞在した。しかし今回は8月。バカンスで賑わう街はどこを当たっても予算にみあう部屋はなく途方にくれていた。しかしいざとなるとこの世の中捨てたもんじゃない。街はずれに私を救ってくれる小さなホテルがあった。夜中の12時、屋根裏部屋の荷物をかたずけて泊めてくれたのだ。2000ペセタ(1500円)それもシャワ−付きでベットに寝転び天窓を開けると星が見える。これ以上の部屋がどこにあると云うのだ。この幸運はフロントのセニョリータに私が気に入られたからかもしれないな、と勝手な想像をしながら眠りについた。翌朝ホテルのガレージを見ると大型のバイクが3台あった。フロントの彼女に聞くと全てオーナーのものだと話しウインクした。
そうか、そう云うことだったのか。私はお土産用の浮世絵のコースターを渡して旅発った。



< 巡礼の道「カミーノ・デ・サンティアゴ」 >

  私はここ数年、パリからプロバンス、ピレネ−山脈を越えてスペインの北西サンティアゴ・デ・コンポステーラに続くキリスト教巡礼の道をバイクで走ってみたいと思っていた。それは私の旧友でステンドグラス作家、平山健夫氏の影響もある。いつかバイクでヨーロッパを走りたいと話す私に、彼はフランス留学時代に旅して回った中世のゴシックやロマネスクの大聖堂のすばらしさを何度も私に話して聞かせたからだ。
 サンセバスチャンから少し内陸に戻った所にプエンテ・ラ・レイナがある。ここはヨーロッパ各地からサンティアゴに続く道が合流する街である。ここからブルゴス、レオン、を経由して聖地サンティアゴまでの800kmがいわゆる巡礼の道「カミーノ・デ・サンティアゴ」である。 サンティアゴは祈りの街と呼ばれ、キリスト教の三大聖地のひとつになっている。ローマの聖ペトロの墓、エルサレムのイエスの墓、そしてこの聖ヤコブ(スペイン語ではサンティアゴ)の墓がある場所だ。聖ヤコブはイエスの十二使徒。9世紀の初めにこの聖ヤコブの墓が北スペインの西部ガリシアで発見されたことからこの地が聖地として脚光を浴びることになった。それによりヨーロッパ各地からたくさんの人がこの聖地サンティアゴを目指すことになったのだ。
 サンティアゴ・デ・コンポステーラ(星の野のサンティアゴ)。何と美しい名前であろうか。今でも沢山の人々がヨーロッパ各地から遥かピレネー山脈を越えて、1000km,2000kmと何ヵ月もかけて、または何度かに分けてこのサンティアゴへ続く道を一歩一歩踏みしめて聖地を目指す。 人々はこの旅によって信仰を深め、自分を見つめ直し、その過酷な旅に苦しむことによって謙虚な自分を取り戻すのだそうだ。その巡礼の道は大きな街道に沿ったすぐ脇に、又近道となる丘を越えて、歩行者の足を考えた細い土の歩道として整備されている。私はバイクで沢山の巡礼者達を追い越して走った。夏休みと云うことで若者の姿も多かった。4〜5人のグループで歩く人、自転車で走る人。信仰目的以外にもひとつの旅として人気があり、気軽に歩く人々が多いらしい。   

< 心打たれた老夫 婦の巡礼 >

 私はこの巡礼の道で見た一組の老夫婦の姿に心を打たれた。小柄な二人は共にリュックをしょい、片手に巡礼のシンボル帆立貝の飾りを付けたつえを持ち、しっかり手をつなぎ歩調を合わせてゆっくり歩いていた。前に回って振り返るともう70才を越えていそうな老夫婦だ。私はその少し前方でバイクを降り二人を待った。「どこからきたのですか」「ベルジュン(ベルギー)」と男性が誇らし気にきっぱり答えた。婦人が嬉しそうに何度も頭を前に振り笑顔向けた。なんと2000kmも離れた国から来ているのだ。今の時代はいろいろな交通機関があるから毎年少しずつ区間を決めて歩くことができる。しかし昔はそんな方法はなく、命がけで旅をしたらしい。旅の途中で果てる人。旅の費用をたづさえ歩き疲れた巡礼者は追いはぎや盗賊の格好のえじきだった。思いを達成した帰り道に果てる人。そのようにこの巡礼の道には深い信仰の長い歴史と数知れぬ旅人達の物語りがあると云う。 長い年月、共に人生を歩んだ老夫婦のその心の内を見ることはできない。
 しかし今二人が一歩一歩、歩調を合わせて歩くその姿に私は胸打たれた。そこは聖地サンティアゴまであとわずか20kmの地点。二人の人生のエピローグは間違いなく静かで愛に満ちたすばらしいものにだろう。                      
 私はその後ろ姿に大きな声で「頑張ってくださ〜い!」 そう云わずにはいられなかった。 二人は交互に振り向いてつえを高く持ち上げて答えてくれた。しっかり手をつないで歩く老夫婦の後ろ姿が見えなくなるまで見送った後、私は同じ道を避け大きく迂回してサンティアゴヘ向かった。

つづく

 


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